月別アーカイブ: 2006年9月

2006.09.12

2006.9.12 加川良とハンバート

気になるものは繰り返して、、、。
今日は加川良とハンバートハンバートが競演したビデオを観る。
加川良はそれほど好きではないんだけど、ハンバートの曲に寄り添うように歌う加川良は久しぶりに、いいな、なんて思った。
相手の音程に身を任せ、低い声で寄り添うように歌う加川良。
ハンバートだけで歌っているものを聴いた事ないから何とも言えないけれど、これでもいいんじゃないの、なんて思っちゃう。
何だろう、完成された花が咲く美しさもあるけれど、思ってもみなかった花が咲く驚きもあって、加川良がハンバートの曲に寄り添いながら歌うのを聴いていると、あぁ、こういうのもあるよな、なんて思ったりするわけです。

2006.09.11

フーテンの寅次郎

NHKで特集していた渥美清の録画ビデオを観る。
何でしょ、BSでやってる「男はつらいよ」をよく観るからかしら、歳とったからか知らんけど、あらためて渥美清について考えてみたり、寅さんを観てみるとね、いろいろと思うところもある。

いつも失恋してしまう寅さん。でも、マドンナに恋い焦がれてしまう寅さんは「自分のことを好きになってくれたらいいな」「気づいてくれないかな」てな感じで、あれやこれやおどけてみせる。でも、それは決して押し付けじゃぁない。
それがやきもきしちゃうところでもあるんだけど、でも「もう、これは駄目だ」「僕の方には振り向かない」という時は「フーテンの寅次郎、また旅に出ます」てな感じでどこかに行っちゃうわけですね。

思うに、寅さんは自分の感情や思いよりも相手の気持ちを優先する。
自分の思いが正しいものだと思っていても、相手にとっては余計なことかもしれないと。
それは、好きになった相手でも気軽に入っちゃいけない部分がある、ちゃんと自分と相手との線引きをすることでもあると思うし、相手の事を思う反面、自分の大事にしているところに気軽に入ってくる奴にゃぁ「邪魔するな!てやんでぇい」と言っちゃうところでもあると思う。

そんな事考えながらニュースなんて見ていると「それってどうなの?」なんて思う事もしばしばあるわけです。

2006.09.10

はいからはくち

当たり前のことだけど、ミュージシャンは他人の曲をカバーしたり自曲をセルフカバーしたりするわけです。
で、はっぴいえんどのアルバムなんてのを日がな一日聴いていると、同じ曲でもさまざまにアレンジされた曲があって、それで一日が終わっちゃうくらい面白いわけです。
例えば、セカンドアルバム『風街ろまん』に入っている「はいからはくち」なんて、シングル版の「ダ・ドゥ・ロン・ロン」風なアレンジがアルバムではまったく違ったり、ライブになるとファンクなものまでいろいろ。
一つの曲をさまざまに解釈して作り直す。いいですね。魅力的です。
アーティストによくありがちな自己模倣ってものから遠く離れっちゃっている感じがね。教訓にもなるわけです。
「危ないよ、このままだと」なんて言われているみたいでね。

2006.09.08

最後はappelでプンクトゥム

20060908

昨日は午前中からぶらぶらとギャラリー巡り。途中、書店などに寄りながら、最後は経堂にあるappelへ。
appelは9月30日から行われる原 美樹子さんの展示「Humoresque」を最後にカフェとギャラリーをクローズするそうです。
いろいろとお世話になった。やりたいこともさせてもらった。そしてappelでやったことの多くは布石にもなった。こんな僕のわがままを聞いてくれたappelには感謝です。
最後を飾る原さんの展示も楽しみです。彼女の写真は写真集でしか見たことないんだけど、何だろう、あの魅力は、、、。うぅ~ん、気になる。
では最後に購入した本などを紹介して。
まず『THE BIG ISSUE JAPAN』奈良美智+graf特集。別に特集が気になった訳ではないんだけど、まだ買った事なかったからということで。次に『Inter Communication』と森山大道『昼の顔 夜の顔』森山さんの本は偶然にもサイン本でした。森山さんのサインってこんな感じなのね。そしてフリーペーパー『PUNCTUM TIMES』これ、知りませんでした。9月中旬に第2号が発行予定のようです。最後にこれもフリーペーパー『三太 vol.2』appelでゲット。vol.1面白かったので。
しかし昨日はゆっくりした一日だった。最後はappelで青島ビール飲んで。そんでもって家に帰ってきて『PUNCTUM TIMES』読み返しながら、ふと「appelは僕にとってプンクトゥム(ロラン・バルト:写真の中にある、見ている私を突き刺すもの)のようなものなんだろうな」なんて思ったり。

2006.09.07

人を思う

「自分さえよければ、、、」と思ってしまう事もあるけれど、やっぱり他人を思うことは大切だと思う。
結局、他人の気持ちはわからない。でも、その「わからない」ということが「他人を理解する」ということにつながるんじゃないか、と僕は思う。
「ある人は弱い者をつくることで自分の立場を確保する」と藤原新也の『渋谷』に書いてあったのを思い出す。
もし、その行動の中で「他人を思う」ということがあるとすれば、それはどういうことなのだろうか。
僕にはそれが「他人を思うふりをした、ただの建前」でしかないと思えてしまう。