月別アーカイブ: 2007年8月

2007.08.25

理由が必要

かみさん方のおじさんが亡くなる。

詳しい話を聞くと、どうやら某大学病院の待合室で亡くなったそう。
そりゃないよ。とても調子が悪くなったから行ったのに、、、。
付き添いのおばちゃんも「とても調子が悪いので早く診てもらえないか」と看護婦に言っても「初診なのでしばらくお待ちください」の一点張り。医者が診たのはおじさんの心臓が止まってからという始末。

結局、医者が診ている前で亡くなったわけではないから、この病院では死亡診断書も書いてくれない。
だからおじさんは死因を特定するために検視にまわされることに、、、。
検視をしなければいけない理由もわかるけれど、道端でのたれ死んだわけでもないのに、とも思ってしまう。

それに、おじさんを病院から解剖する施設へ搬送する際、おじさんを診た医者は手すら合わせない。
ついでに解剖医はといえば、遺族への対応が何とも事務的で、必要があれば葬儀屋を紹介し段取りをつけようとする。
その対応から察するに、病院と葬儀屋ががっちり手を組み儲けようとしているのが見え見えだ。

しかしながら、今回のおじさんの一件で見えたのは、人がこの社会で死んだとされるためには理由(死因)が必要であり、それがない以上(特定されない以上)おじさんの亡骸は家に帰ることも許されないという事だ。
そして、それが特定されるまで、そこには遺族の気持ちが入り込む余地はない。

もちろん、それはこの社会で生き死ぬ以上、仕方のない事だとも思うけれど、もし病院とそこに勤めている医者の対応が遺族に対してもう少し気を配っていたなら、遺族の気持ちも少しは済われただろうと思う。

これは極論だろうし全てではないにしろ、この病院とそこに勤める医者にとっては、治るあてのない病人は既に死んだも同然、済う余地なし、という事なんだろうと思う。
でも、少なくとも僕とって医者とは、病気に対する知識とそれを治す技術を持つ以前に、他人の痛みに理解を示す者だと思っているから、今回のおじさんへの対応は、僕が思う医者としての基本的なところが抜け落ちているように思えて仕方がない。

2007.08.24

なぜ家に帰す

かみさん方のおじさんが救急車を呼んだときの事。

以前から体調が悪く、お腹に溜まった腹水を管で体外に出している状態にも関わらず、その救急隊員はおじさんを病院へ搬送するわけでもなく、そのまま家に帰してしまう。
何もタクシー代わりに呼んだわけじゃないんだけど、、、。
おじさんの病状で調子が悪いとなれば、病院へ搬送することは考えられないのかね。

たぶん、おじさんも自分の病状から「これは危ない」と判断したんだろうし、この救急隊員の判断は僕には間違っていると思うのだけど、どうだろうか?

2007.08.12

artictoc

20070812

artictocが届く。

教育機関が出しているこういった類のものってどうなんだろう、と思っていたけれど、これ面白いですね。
けっして充実している、といった感じではないけれど、読んでいると何だかヒントを与えられているような気がしてね。

東京の四谷にある「四谷アート・ストュデイウム」では無料配布しているようだし、興味のある方はいかがでしょうか。

2007.08.11

鎌倉へ

鎌倉にあるGallery Stump Kamakuraに行く。
目的は「BY A FOREST/原良介」展を見るため。

しかし暑いですね、この時期の鎌倉は、、、。去年はこんなに暑くなかった気がするけれど。
それにお盆休みということで人も多いですね。僕は駅に着いただけでノックアウト状態です。

だけど、Gallery Stump Kamakuraまでくれば人も居なくて静かですね。
暑いのには変わりないけれど、虫の音や時々吹いてくるそよ風が火照った体を癒してくれます。

さてと、今日は初日でオープニング・パーティーだったけれど、それは失礼して、、、。
ライターのSさんとかみさんの3人で、会場での楽しい会話を続けながら帰宅する。

これは余談だけど、Sさんの書くものって、全てではないけれど、例えば文章の最後に最近聞いている音楽や観た映画、時には食べ物などについて書いてあるものがあって、それが何だかSさんの人となりが見え隠れするんですね。
もちろん、人柄で書いたものの善し悪しを決める事はないけれど、でも、その最後のコメントと読むと、それまでの視線を別のところに逃がしてくれるような感じがするんですね。

そして、そういう物書きがあるんだったら、そういう作品の説明もあっていいんじゃないの、なんて思ったりするわけです。
作品の説明をマッチョにされてもね、最近、美味しいと思ったご飯の話を聞いた方が意外と作品の説明になっていたりする事もあるんですから。

2007.08.08

聞こえなかった言葉

20070808

薬師寺幸二『永山則夫 聞こえなかった言葉』を読む。

高田渡が永山則夫の詩に曲をつけていたことをきっかけに、永山則夫の『無知の涙』を読み、そこから薬師寺幸二『永山則夫 聞こえなかった言葉』にたどり着く。
現役家裁調査官でもある著者が描き出す永山則夫像は、永山則夫が獲得した言葉の可能性と限界も浮かび上がらせていて、それが僕にとって新鮮だったかな。

とはいっても、この著作の先にあるのは永山則夫論ではなく、少年犯罪防止のために、彼の犯した犯罪やそれに至るまでの生活を通して僕たちが何を学ぶべきか、ということにあるから、永山則夫に興味がなくても読み考えさせる本です。