2023.03.17

ふと思う

「彫刻によって鉄をつくる」と表現した彫刻家がいた。

では、小説家は「小説によって言葉をつくる」と言い換えることができるのだろうか。
もっと言えば、美術家は、音楽家は、アーティストは、、、そして、僕、私は。

ここには何かありそうだ。

20230317

2023.03.01

私の手は曲っている

予定は未定の日が続いているけれど、未定ということは思い立った時が行動をする時。

ということで、国立ハンセン病資料館へ。
目的は企画展「ハンセン病文学の新生面『いのちの芽』の詩人たち」に伺うため。

まずはじっくりと資料展示を。
そして最後に企画展。

これまで詩の多くに触れてきたわけではないから、その良し悪しを語るつもりはないけれど、でも、そこに言葉がある、といった印象を受ける。詩なんだから当たり前と言えばそうなんだけれど。

何でしょう。僕に知識がないのも手伝っているのかもしれません。いろんな香辛料で味付けはしません、もちろん味変なんて必要ありません、といった感じでしょうか。

帰りに復刊された詩集『いのちの芽』を頂いて。
これからじっくりと読み進めようと思う。

20230301

2023.02.21

溢れ、悔やんで、たじろいで

先月の末からいろいろと。
そんな中で思う。

作品をつくる展示をすることを含めて、日々の営みの中で繰り返してきたことだけど、今回ばかりはその繰り返しだけでは溢れ出てしまう。

後悔先に立たず。
悔やんでも悔やみきれない。

今、彼女はどう思っているのだろうか。
けれど、もうその返事を聞くことはできそうにない。

残されるのは僕なのか彼女なのか。どちらにしても、僕が今できることを最大限考えなくてはいけない。

そしてもうひとつ。

ある時、Aだったそれはまったく別のBあるいはCになる。でもそれは、その人にとって疑いもなくAなのだ。答え合わせをしても正解は見つからない。
一度空白になった記憶は、更新されてもまた空白に戻ってしまうようだ。

僕はその人の言動にたじろいだ。
けれど、僕が本当にたじろいだのは、その人がはじめからそうだった、そして僕は長い間その人を別のその人として見ていた、ということに気付かされた時だった。

これを書いている今、僕は寛解に向かって安定しているけれど、しばらく予定は未定になってしまうかもしれない。
展示の案内など頂きながら伺えなかった方々には申し訳なく思う。