2020.01.19

ボウリングにバッティング

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今日は家族3人で近所のスポーツセンターへ。
ボウリングとバッティングをする。

まずはボウリング。

何十年ぶりのかみさんと僕。
そして息子は初体験。
なので、点数は気にせず投げまくりのガーターしまくり。

お次ぎはバッティングセンターへ。

これがやめられない、、、。
当たらないと意地になるし、当たると爽快。
かみさんは一打席だけだったけれど、息子と僕で何打席立っただろう。

ボウリングはしばらくいいとして、バッティングセンターは近いうちにまた来ましょう。

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で、自宅に帰ってきて早々、体のあちこちが痛い、、、。
こりゃボウリングとバッティングでやられたな。
明日の朝は筋肉痛で目覚めそうだ。

2020.01.03

あとは切手を、わたしのいるところ

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昨年の読み納めは小川洋子・堀江敏幸著『あとは切手を、一枚貼るだけ』。
そして今年の読み初めはジュンパ・ラヒリ著『わたしのいることろ』。

どちらも読み納め、読み初めとして良し。
といっても『わたしのいることろ』はまだ途中だけど、、、。

『あとは切手を、一枚貼るだけ』は何度か読み返す中で、気になったところが多く出てきて。
その中でも十四通目のところを、まずは。

少し長いですが引用します。

 永久に消えてしまった存在を、不在という言葉に置き換えるのはあまりにも安易です。言い換えの暴力が許されるなら、人は罪をいくらでもごまかして、楽に生きていくことができるでしょう。ぼくたちの暮らしに必要なのは他者への想像力であり、それは暴力的な言い換えを拒むことだと、何度も確認しあいましたね。言葉だけではありません。表現とはなべてそうしたものです。生まれなかった子どもの顔、世に出ることを拒まれた子どもの、未来の顔を描く際にも必要な力でしょう。公園にいた絵描きには、少なくとも偽りのない想像力がありました。その成果の一部が、こうしてぼくたちの手もとに残されているわけです。
 けれど、いま頼れるのは、自身の想像力だけです。叙事による詩は、そこからはじまるのです。音の伝わらない真空の闇のなかでふわふわ宙に漂いながらきみと交信し、制御不能に陥らないよう身を持していたとき、ぼくが全身全霊で試みていたのは、「そこにないものの痕跡を探る」という完全な矛盾でした。あるいは「無音の声を聴き取る」ことだったことも理解しています。赦す赦さないの表面にとどまるかぎり、もっと大事な声を、もっと小さな声を聴取することができなくなってしまうでしょう。その段階は、とうに超えました。だからこそきみとの手紙のやりとりが可能になったのです。

(以上、小川洋子・堀江敏幸著『あとは切手を、一枚貼るだけ』 pp.273-274より)

「そこにないものの痕跡を探る」や「無音の声を聴き取る」、そして「赦す赦さないの表面にとどまるかぎり、もっと大事な声を、もっと小さな声を聴取することができなくなってしまう」というところも。

今の僕にとって日々の生活や作品をつくることの中で感じ、常に考えていかないといけないと、まさにそう思っていたので。

『わたしのいることろ』を読みながらも、反芻している次第。

2019.12.08

だけではない

12月7日(土)

今日はGALLERY CAPTIONで催される「藤本由紀夫アーティスト・トーク」に参加するために岐阜へ。

で、ちょいと早めに岐阜に着いたので、撮影を兼ねて長良川あたりを散策。
いつもとは違うルート、路地や山道を攻めて。

おっと、ここは入っちゃ行けなかったのかな。
登ったところで野太い犬の声が、、、。
静かに帰らせて頂きます。

そんでもって、藤本さんのアーティスト・トーク。

デュシャンの話からキルヒャーの飛躍など。
最後は大型Bookの話で。

飽きさせないトークを堪能。

終了後は食事会を兼ねたアフタートークを。
こちらも堪能。

でも、僕の声は不協和音になりそうなので、控えめに。いや、むしろScience。

これじゃいけないのかもしれませんね。このご時世。
もっと、ぐいぐいと、ですね。

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・・・・・

12月8日(日)

豊田市美術館でやっている「視覚のカイソウ/岡﨑乾二郎」展を見る。

ユーモアをつねに含む実践。
と、僕は理解して、これまでその活動に興味があったけれど。

何だろう、この感じ。
これでいいのかな、、、。

作品から投げかけられた球を僕が打ち返して、次の回にまた。
そのやり取りは出来た。
でも、場外ホームランは打ち返せなかったような。
僕に打ち返す能力がないのは認めつつも。

そこで藤本さんのトークの冒頭で紹介されたデュシャンの言葉を思い出す。

アートは作り手・作品だけでは成り立たない。鑑賞者の視点・解釈が必要だ(正確ではありません、、、)

僕は岡崎展で打席に立ちながらも、打ち返す方向・範囲ををあらかじめ想定されていた感じがする。
そして、打席を離れた僕は、その球場で行なわれているゲームを、どちらのチームを応援するわけでもなく、ただ見るだけ。

・・・・・

帰りの新幹線で見た富士山は、なぜかしら投手でもあり打者でもあり、応援席に座るいちファンでもあるような、そんな存在に見えた。

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