カテゴリー別アーカイブ: 展覧会

2021.12.30

それは、ただ、

展示室を訪れると、そこには黄褐色を帯びた一枚の膜。
床と同サイズのそれは水平に、手を伸ばせば届きそうな高さに設置されていた。

さまざまに形容しようと思えば出来たように思う。
けれどもそれは余計な事に思えた。

それは、ただ、そこに、あった。

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作品を見るために、展示室を訪れる、
という状況でなければ、そう思わなかったかもしれない。
では、そうでなければどう思ったのだろうか、と自問してみる。

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やじろべえが依って立つ起点。
バランスなんてどうでもいい。

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太さの異なる糸で編まれた、網目のまばらな一枚の膜。
その状態を保つのか、揺れ続けるのか、それとも捨てるのか。

2019.10.05

出来事と記録、ひしひしと

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埼玉県立近代美術館でやっている『DECODE/出来事と記録 – ポスト工業化社会の美術』展を見に行く。

初っぱなから金村修の作品にやられる。でも、ちょっとやりすぎかな?
で、「絶対現場」のスライドショー。

学生の頃、何かの雑誌でその記録写真を見てから、ずっと気になっていたので。
といっても、詳しく調べる事もなく、ただ僕が気になっているのは、つくるってどういう事なのってこと。

スライドショーを見ていると、どう見たって最初は解体現場にしか見えないし。
でも、最終的にそれは解体されるわけだし。
だけど、それはつくることに向けられているんだろうし。

さて、先週見た展覧会が対照的だったのでちょっと。
それは『まなざしのあわい/伊庭靖子』展と『岸田劉生』展。

『まなざしのあわい/伊庭靖子』展はそこに映る雰囲気を写し取る感じ。
『岸田劉生』展はそこにあるものをつかみ取る感じ。

いや〜、『岸田劉生』展のこのつかみ取る感じ、凄かったです。
切実というか、ひしひしと伝わって来ました。

2019.04.28

高密度で高解像度

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いくつか展示を見てまわる。
まずは、東京都写真美術館でやっている「ヒューマン・スプリング/志賀理江子」展と「写真の起源 英国」展へ。

「ヒューマン・スプリング」展でも思わぬ気づきがあったけれど、「写真の起源」の高密度にはやられました。
展示されている写真は不鮮明だったりボケていたりするけれど、デジタルが謳う高解像度とは違う意味で、僕には高解像度に見える。

高密度で高解像度。
後年に同じ方法でリプリントされたものであったとしても、やっぱりこの魅力は実物でしか味わえないでしょう。

さてと、お次ぎはGYRE GALLERYでやっている「精神的辺境の帝国/デヴィット・リンチ」展へ。
分かりやすい場所にありながら、不慣れな土地ゆえ、少し迷いながら、、、。

最後はTOKI Art Space「山際にふれる/小林花子」展を見て、家路につく。

2019.04.21

しっかりとした意思の身軽さ

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gallery21yo-jでやっている『island/諏訪未知』展を見に行く。

いや〜見れて良かったです。
何と言うのか、程よく力が抜けていて。
かといって、ゆるいという訳では全然なく。

開かれた窓を風が自由に行き来するような。
そして作品はその境に佇んでいるような。

制作プランも受ける風によってその都度、変更されるのかなと思ったり。
しっかりとした意思の身軽さを感じながら、鑑賞した次第。

ありがとう。

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さてさて、帰りに本屋に立ち寄って『ことり/小川洋子』著を買う。
新聞で紹介されていて気になったので。

感想はまた後日、、、。

2019.03.23

充実して

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東京都庭園美術館でやっている「岡上淑子 沈黙の奇蹟」展を見る。

本館の展示は会場の雰囲気と作品が妙に合っていて。
ゆったりとした気分で鑑賞する。

で、新館に移動するとまったく別の、、、。
会場を行きつ戻りつ、気になった作品を確かめながら。

どちらにしても、じっくりと。

で、お次ぎは、目黒区美術館へ。
「目黒区美術館コレクション」展を見る。

こちらも充実。
山中信夫の「マンハッタンの太陽」はいつ見ても揺さぶられる。会えてよかった。
そして、鈴木省三の絵画も。

最後は、銀座に移動してギャラリーをいくつか。