月別アーカイブ: 2020年1月

2020.01.26

男旅

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今日は息子と2人で幕張メッセでやっている「次世代ワールドホビーフェア」(以下、WHF)へ。

自宅から会場まで、これ、ちょっとした旅です。
息子も初めて乗る京葉線に興奮気味。引込線があったり、馴染みのない景色が見えたりで。

そこで、息子に提案。
せっかくなので、帰りに寄り道して、葛西臨海公園にある大観覧車に乗ってみないかと。
行きの車内から見た感じでは、まだ動いていないようだったから、不安はあったけれど、、、。

で、「WHF」会場へ。

思ったほど、混雑はしていないのかな。
でも、各ブースの参加イベントはそれなりに待ち時間が、、、。
息子がお目当てのブースはそんなに混んでいなくて、クジ引きしたり買い物したりで楽しんだよう。
会場に着いた時は長蛇の列だったスペシャルグッズ売り場も、僕たちが帰る頃にはまったく。

さてと、息子も満足したようなので、海浜幕張駅でお昼ご飯を食べて帰ることにする。

で、消化不良の僕は葛西臨海公園の大観覧車が気になる。

動いているのかどうか。(実は行きの電車内から見た時は営業時間外だったよう。動いていないのは当たり前。)
葛西臨海公園駅に近づくにつれ、見えてくる大観覧車。
息子と2人で動いているのか確認する。

僕 「動いていないように見えるけど」
息子「動いているんじゃない?」
僕 「いやどうだろう、微妙、、、」

葛西臨海公園駅に近づく線路はカーブしていて、大観覧車の見える角度が変わって動いているようにも見えるし、動いていないようにも見える。
そして、葛西臨海公園駅に停車する直前、スロー走行になった時に、僕も息子も確信する。

「動いてる!!」

急いで電車を降りて、いざ、大観覧車へ。

さてと、帰りの電車内で、息子に聞いてみる。

僕 「今日のWHFはどうだった?」
息子「楽しかったけど、でも、一番は大観覧車かな」
僕 「えっ、そうなの、、、」

お菓子のおまけが良かった、という感じかしら。

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2020.01.19

ボウリングにバッティング

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今日は家族3人で近所のスポーツセンターへ。
ボウリングとバッティングをする。

まずはボウリング。

何十年ぶりのかみさんと僕。
そして息子は初体験。
なので、点数は気にせず投げまくりのガーターしまくり。

お次ぎはバッティングセンターへ。

これがやめられない、、、。
当たらないと意地になるし、当たると爽快。
かみさんは一打席だけだったけれど、息子と僕で何打席立っただろう。

ボウリングはしばらくいいとして、バッティングセンターは近いうちにまた来ましょう。

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で、自宅に帰ってきて早々、体のあちこちが痛い、、、。
こりゃボウリングとバッティングでやられたな。
明日の朝は筋肉痛で目覚めそうだ。

2020.01.03

あとは切手を、わたしのいるところ

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昨年の読み納めは小川洋子・堀江敏幸著『あとは切手を、一枚貼るだけ』。
そして今年の読み初めはジュンパ・ラヒリ著『わたしのいることろ』。

どちらも読み納め、読み初めとして良し。
といっても『わたしのいることろ』はまだ途中だけど、、、。

『あとは切手を、一枚貼るだけ』は何度か読み返す中で、気になったところが多く出てきて。
その中でも十四通目のところを、まずは。

少し長いですが引用します。

 永久に消えてしまった存在を、不在という言葉に置き換えるのはあまりにも安易です。言い換えの暴力が許されるなら、人は罪をいくらでもごまかして、楽に生きていくことができるでしょう。ぼくたちの暮らしに必要なのは他者への想像力であり、それは暴力的な言い換えを拒むことだと、何度も確認しあいましたね。言葉だけではありません。表現とはなべてそうしたものです。生まれなかった子どもの顔、世に出ることを拒まれた子どもの、未来の顔を描く際にも必要な力でしょう。公園にいた絵描きには、少なくとも偽りのない想像力がありました。その成果の一部が、こうしてぼくたちの手もとに残されているわけです。
 けれど、いま頼れるのは、自身の想像力だけです。叙事による詩は、そこからはじまるのです。音の伝わらない真空の闇のなかでふわふわ宙に漂いながらきみと交信し、制御不能に陥らないよう身を持していたとき、ぼくが全身全霊で試みていたのは、「そこにないものの痕跡を探る」という完全な矛盾でした。あるいは「無音の声を聴き取る」ことだったことも理解しています。赦す赦さないの表面にとどまるかぎり、もっと大事な声を、もっと小さな声を聴取することができなくなってしまうでしょう。その段階は、とうに超えました。だからこそきみとの手紙のやりとりが可能になったのです。

(以上、小川洋子・堀江敏幸著『あとは切手を、一枚貼るだけ』 pp.273-274より)

「そこにないものの痕跡を探る」や「無音の声を聴き取る」、そして「赦す赦さないの表面にとどまるかぎり、もっと大事な声を、もっと小さな声を聴取することができなくなってしまう」というところも。

今の僕にとって日々の生活や作品をつくることの中で感じ、常に考えていかないといけないと、まさにそう思っていたので。

『わたしのいることろ』を読みながらも、反芻している次第。