Masaki Kawada Web

Texts

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Japanese

2022

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夜空のレッスン

それが何なのかよくわからないけれど、どうやらそれは何かのようだ。
間違いとか正しいとかいうことではなく美しいということ。

2016

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漂いながら、思うままに、ともだちのこと

「感覚」を感じることってできないでしょ。味わったり経験したりするものじゃない。でも「ともだち」ってどうだろう。誰かを「ともだち」として味わうのは変だし、むしろ感じるものだと思うんだ。相手が誰であれ、その人を「ともだち」と感じた時、いや、その人との関係に「ともだち」を感じた時と言った方がいいかな。

2015

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コメント

小説やエッセイ、詩、その他ジャンルを問わず本を読んでいると、作品について思い悩んでいることが解決したり、あるいは、そのきっかけを与えてくれる言葉や文章に出会うことがあります。そしてまた、それら言葉や文章は僕の作品を鑑賞する上でほかの人にも何かしらの手がかりを与えたり、何かを解決させることがあるかもしれないと思うことがあります。

2014

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そのように作用するもの

今更ながらではあるものの、この文章を書くにあたって気付いたのは、僕はあまりジャンルを気にして見たり読んだりしていないということ。もちろん映画と小説、漫画くらいの区別はするけれど、それ以上の、例えば映画だったらアクション映画とSF映画をはじめから区別して見ていないようで、それは幼い頃からあまり変わっていない。だから今回のテーマである「わたしの好きなSF」というのは「わたしの好きなものの中にあるSF」となるのかもしれない。

2013

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御岳のスタジオで

2002年3月、僕は青梅市御岳にあった若林スタジオに制作助手として就くことになった。主な仕事は豊田市美術館とKENJI TAKI GALLERYでの個展の準備。当時のスタジオには若林さんのほかにマネージャーが1人、事務が1人、そして制作助手の僕と猫が2匹。その時々によって全員がスタジオにいる時もあれば、若林さんと僕だけの時もあった。スタジオにある作業場はつねにピンとした空気が張りつめていた。

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二回転半ドロップ

彼が思う普通が彼女にとっても普通とはかぎらない。特別なことをしなくても、彼が普通だと思うことに徹してみれば、彼女にはそれが普通ではないこととして映るかもしれない。彼と彼女が思う普通。お互いにとってまったく普通ではない、それぞれの普通。

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Untitled

雨が降る中、ベランダ越しに見る景色は窓ガラスについた雨粒で揺らいでいた。傘をさす人たち、過ぎゆく車、庭の草木。輪郭は雨の中でぼやけながらも、雨粒の跳ね返りがそれらの存在を確かにもしていた。

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ぼくのじじょう 僕の事情 ジョン・レノン

かつてジョン・レノンは誕生した我が子が5歳になるまで、子育てに専念すべく音楽活動を休止した。高校生の時、ジョン・レノンの曲を飽きることなく聴いていた僕は、そんな彼の行動に驚きと好感を持ちながら、僕も子供を授かったらハウス・ハズバンドだと半ば夢見心地に憧れていた。

2012

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実生の庭、星座の輪郭

あまり手を入れず、半ば植物の育つがまま、なるがままに任せている自宅の庭。葉と葉は触れ合い、枝は重なり、所々に深い影を落とす。最近は苗木を買って植えることが少なくなったから、このぼうぼうさ加減は新たな種が自然に蒔かれた、運ばれてきたということだろう。庭の半分は植木鉢や買ってきた苗木が育った厚み、残りの半分は自然に育った実生の厚み。

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全感覚 Vol.2

随分前の事になりますが、図面などの複写に使われる青焼き紙を印画紙のように使う事ができないか試してみました。するとこれがなんともいい感じではないですか。画像の荒さ は仕方ないと諦めつつも、感度が低いから印画紙のように暗室で扱う必要はなし。強い日差しに気を付ければ屋外でも大丈夫。現像は熱を加えればOK。なんともお手軽です。

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なみゆくながら、着かず、離れず。

ここに割れてしまった茶碗がある。新しく買い直すのもいいが修復もできる。では修復するならどちらの方法がよいか。修復した事がわからないくらいまで元に戻すのか、あるいは、割れた事実を残しつつ修復するのか。

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全感覚 Vol.1

語には複数の意味が含まれていることがあるけれど、「春」や「本」もそのひとつで、季節や書物以外の意味がある。そこで、ここではそれぞれの意味を変えながら「春の本」と「本の春」について書いていこうと思う。まずは季節としての「春」と書物としての「本」から。

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戸惑いからはじまる

初めて見る作品が目の前にある時、僕たちはどのように解釈してよいのか戸惑うものです。これまでの経験や知識を総動員して解釈するのか、あるいは解説を読み束の間の安堵を得るのか。それともその場から黙って立ち去るのか。

2011

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Kontrapunct

音楽には複数の独立した旋律を重ね合わせて美しい響きを得る対位法という作曲技法がありますが、環境の変化に寄り添いながら作品を展示するという事は、対位法で作曲する事に似て、消えてはまた現れる多様な響きに耳を傾け、距離を測り、どれもが主旋律や伴奏にならないようにする事かもしれません。

2007

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作品、あるいは、植物について

時々、鉢植えが半ば無造作に軒先や路地に並べられているのを見ると、私たちに見られることとは無関係に、ただそこにあると感じることがあります。もちろんそこには家主の趣味趣向が反映されているのですが、それに気を配らなくてもそれぞれの言葉でその鉢植えについて語ることができます。

 

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あなたにとって学芸員ってどんな存在?

今、僕が住んでいる賃貸マンションには午前中だけ通ってくる管理人さんがいる。
この管理人さん、長くマンションの管理をしていることもあって、仲良くなるといろいろと話が聞けて面白い。

2004

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第2回府中ビエンナーレ

しばらく会っていなかったけど元気ですか?
先日、S町という高台のある町に引っ越しました。高台のある町にあこがれていたわけでもないんだけど、けっこう眺めもいいし、これまであたり前だと思っていたことも新鮮に見えてきたりね。

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本という「中間」

ここ最近、本の周辺にいることもあって、どことなく本のことについてもの思いにふけることが多くなったと感じるのだけど、僕の性格上、きっと別のことに興味を抱くようになったらあまり本のことついて考えないだろうな、なんて思ったりする。

2003

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写真ノ書

ごくありふれた日常のスナップ、家族や友人、恋人との記念写真•••。今や写真は誰にでも手軽に撮影し加工できる、日々の営みを豊かにしてくれるひとつのメディアである。そして写真は私たちの生活の奥深くまで入り込み、それが写真であることさえ気付かないほどに私たちは写真に対して視力を失い、同時に私たちの視線そのものも写真化しつつある。

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私的に

かわだ新書『アートする美術』にまつわる話を、著者からの発言で、いや、美術作家として、それとも、いち読者としての感想、質問・・・・・。何だかいろいろな意見が出てきていっこうにまとまりそうにないので、とりあえず『アートする美術』とは何か?という質問に対して『アートする美術』に関係のある方々にそれぞれの立場から回答を寄せて頂きました。以下、それら回答を順次紹介しながら『アートする美術』について考えていこうと思います。 では、まずは著者からの回答です。

2002

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オールド/ニュー準備室 vol.19

さて、唐突ではありますが、かわだ新書プロジェクトの総括展「Documents-old/new-」まで約1週間となり、 この「オールド/ニュー準備室」も「Documents-old/new-」が開催されればその役目も終るということで、勝手ながら、今回を持ちまして「オールド/ニュー準備室」を終了させて頂こうと考えています。

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オールド/ニュー準備室 vol.18

さて、今回は、総括展も迫ってきていることもありますので、総括展のプレスリリースに載せたコメントを公開しようと思います。これを読んでいただければ、短いですが、ある程度、総括展への僕の考えがわかるのではないかと思います。
また、見ていただく人の、僕やかわだ新書プロジェクトへの期待の仕方、あるいは、あきらめ方によって、総括展の見え方が変わってくるのではないかとも思っています。

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オールド/ニュー準備室 vol.17

さて、前回に引き続き「かわだ新書特製しおり」の制作風景を公開しようと思います。
右の写真の左上に額装されたものがありますが、それは「かわだ新書特製しおり」のための原稿です。部分的に白くなっていますが、あの部分が「かわだ新書特製しおり」としてプレゼントされる部分で、「しおりのための原稿」からしおりのサイズに切り取っているため、穴となって開いた部分からあのように下敷きの白い紙が見えているわけです。

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オールド/ニュー準備室 vol.16

さて、かわだ新書「アートする美術」の各配本会場に置かれていた愛読者カードを郵送すると5名の方に「かわだ新書特製しおり」がプレゼントされる(*1)のですが、この作品は「50円で購入できる美術作品」「プレゼントされた方に鑑賞方法を委ねた」また、実際「しおり」として使用してもよいという「使用目的の選択」も当選者に委ねるという位置づけで制作されています。

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オールド/ニュー準備室 vol.15

今、かわだ新書「アートする美術」の豪華本の制作をしているのですが、簡単にその豪華本について説明すると、各配本会場に展示のために郵送した配本キットとそれに付属する書類、また、「アートする美術」にある白紙ページのためのドローイングを1セットとしてまとめたものになります。

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オールド/ニュー準備室 vol.14

今回は展示見取り図を公開しようと思います。
しかし、これはあくまで参考資料にすぎませんので、実際の展示がこのようなモノの配置になるかどうかわかりません。 そして、このような情報の提示はある意味、白痴的だろうとも思ってしまうのです。

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オールド/ニュー準備室 vol.13

さて、今回は「答えなし/no answer」(仮タイトル)という作品の制作風景を公開しようと思います。
この作品はシルクスクリーン印刷よる版画作品になります。
右写真上がその試作になります。実際の作品ではタテ約140×ヨコ約90cmのサイズになりますが、試作ではA4サイズで制作しています。

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オールド/ニュー準備室 vol.11

今回は、ART SPACE bisに展示される作品の制作状況を公開しようと思います。
さて、ART SPACE bisに展示される作品ですが、基本的には音を使用した作品になります。
これまで映像(ビデオ)作品は制作したことはあるのですが、音を基本に据えた作品はこれが始めてで、機材も乏しく、また、機材を購入する予算もないので、今ある機材でなんとかやるということになります。

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オールド/ニュー準備室 vol.10

午前6時30分ごろ起床。すぐに朝食。
朝食後、 返却された配本キットの撮影と内容物のチェック、および、配本先会場へのお礼状作成。
午前10時、近所のDPEへ同時プリントを出しに行く。そのまま車で20分位のところにあるDIYセンターへ材料を買いに行く。

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オールド/ニュー準備室 vol.8

さて「オールド/ニュー準備室」を、私的な都合でしばらくの間、更新をお休みさせていただいていたのですが、さぞ充実した内容を公開できるのではないかと思いきや、お休みさせていただいた期間には大した状況の変化も起こらず、淡々とした平凡な日々が過ぎていくだけで特に話題もなく、親しい友人から、この「オールド/ニュー準備室」への指摘もあり、日記などを公開してみようと思ったのですが、

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オールド/ニュー準備室 vol.7

僕の作品の中に「一冊の栞」という作品があります。
この作品は、一冊の本(主に文庫本)のページに絵を描いたり、メモを施したり、写真を挟んだりしたものになるのですが、どうやら、このような作品に少なからず抵抗を憶える方がいるようです。

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オールド/ニュー準備室 vol.6

暗室でのプリント作業中のメモより(2002年9月10日)
暗室とは、全ての外光を遮断しながら、同時に、暗室の外側にあるだろう外界とその関係も一旦、断ち切られた部屋だと思われます。そして、暗室でのプリント作業とは、投映機から投映された像を唯一の頼りに、一旦、遮断された外界とその関係を捉え直すための作業であるようにも思われます。

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オールド/ニュー準備室 vol.4

「メモ」より(記録年月不明)
正直に告白しようと思いますが、「Documents-old/new-」のための公開制作と銘打って「オールド/ニュー準備室」を始めてみたものの、制作は順調とは言えず、かわだ新書「アートする美術」の自筆年譜にも書いたのですが、美術作家・河田政樹のその第一期を勝手に終了させてしまった手前、これまでの美術作家の営みを裏切っていかなくてはいけないと思いながらも、

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オールド/ニュー準備室 vol.3

僕はこれまでに機会さえあれば何かしらの媒体に文章を発表してきましたが、それら文章は数多くのボツ原稿、未発表、未収録の原稿の上に成り立っています。
他の作家がどうなのかは知るよしもありませんが、僕の場合に限って言えば、発表された文章はその元となった原稿(第一稿)とはまったく別のものになることが多くあります。

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オールド/ニュー準備室 vol.2

さて、前回は「オールド/ニュー準備室」の公開初日でしたので、長々と書き連ねてしまいましたが、今回は言葉少なく、制作風景の写真や記録写真「名なし」をスライドショーにして公開しようと思います。
以下、公開する写真について特に説明はありません。

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オールド/ニュー準備室 vol.1

さて、本日(8月10日)より「オールド/ニュー準備室」と題してウエブ上で公開制作を行っていきますが、まずはじめに、なぜこのように「公開制作」を行うことにしたのかについて説明をしましょう。
「オールド/ニュー準備室」は、「かわだ新書「アートする美術」の意図を別の視点から援用する」というテーマのもと企画されています。

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プレスリリース

今回「Documents-old/new-」と題して、河田政樹によるかわだ新書プロジェクトの総括展を行うことになった次第ですが、この展覧会は”河田政樹の展覧会”でありながら、同時に”かわだ新書プロジェクトの総括展”でもあります。

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かわだ新書の創刊に際して

1999年、河田政樹によるテキスト集『ノート』が自主発行され、それまで作品集の一部として構成されていたテキストは、展示作品とは別の解釈を、言葉による表現として日ましに自立しつつあった。しかしながら、2001年9月、過酷な社会情勢のなか、『ノート』はたび重なる再版の末、休刊のやむなきにいたり、越えて10月、「スパイラル」の掲載を最後に『ノート』はその第1期を終了した。

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自筆年譜

1973年(昭和48年)(満0歳)
9月19日(水)午後2時25分、東京都国立市の共済病院で河田家の長男として生まれる。父、勉、母、まさみ。現在まで兄弟なし。生まれつき病弱。病院通いが続く。

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描かれた言葉

僕は今、ここに書かれた言葉、まさに「僕は今、ここに書かれた言葉・・・・・」と共に、それに続く言葉の連続から逃れることができない。まさに袋小路に追い込まれてしまったかのようだ。読むことから遠ざかることができない。そして、これから書かれるであろう言葉の連続は、常に読まれた後、事後的に、僕の前に現れる。それは、まるでまぶたの裏側に映し出された言葉の連続を紙面に映しだしているかのようだ。

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本当の話

先日、この本のために書いた原稿を読み直してみた。
自分で書いておきながら、正直、よくわからない。しかも読みづらい。
まぁ、まとまった文章を書くことに気負いがあったのだろうと自分をなだめつつ、読み進んでみる。けれども、いっこうに内容がわからない。

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アーティスト・ライフ

河田政樹です。1973年、東京に生まれました。初個展がデビューとすると約4年が経ったことになります。これまでに制作してきた作品ですが、その都度、必要な手段、方法で制作してきましたので、例えば、各作品の素材や形態などについては語ることができますが、全体を一つとして語ろうとすると、統一している何か、キーワードでもいいのですが、それがあまりにも見えづらいので、それを語ったところで作品の直接的な説明にはならないと思っています。

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はぐらかし

僕は美術作家としての側面をもっているから、必然的に美術という場所にも立っている。
といっても、別の顔があるわけじゃないから、周りから見れば、美術作家そのものに見えるだろうと思う。
けれども、結局、僕は美術に片足を突っ込んでいるだけにすぎないとも思う。どこかで「美術なんて知らなくても関係ないわ」なんて思っているし、そう思いながらも辛辣に美術について考えてみたりもする。

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ながら族

僕の友人で、何をするにもラジオをつけている人がいる。いわゆる「ながら族」である。
ある目的のことをしながらもそれとは関係のないことをする、そんな人たちのことを「ながら族」というのだけれども、僕はそんな友人の行動を不思議に思う。

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私の印象

先日、仕事の帰り道に突然、親しくしている知人から電話がかかってきた。
彼とはもう随分と会っていないけれど、それでもお互い何かあるときは連絡をとりあっている仲である。その時はちょうどお互い時間が空いていたので、この機会を逃せばまた会うのは随分後のことになるだろうと思い、知人に会う話を持ちかけ、僕がよく行く飲み屋で落ち合うことを約束した。

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無駄にして

今日は何もすることがない。こういう日は決まって近くにある公園に行くことにしている。
けれども、公園に行ったからといって何をするわけでもなし、ただベンチに座ってぼおうとしている。休日になれば家族連れで大賑わいになってしまうけれど、平日は僕と同じように暇を持て余している人たちがいるから、僕も遠慮なく暇を玩ぶことにしている。

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どこか他人

苦労の末に、やっと作品の完成が見え始めた。今回は随分と時間がかかった。今は充実感に浸りたい。しかし、そうもいかないのが作品というもの。もう一度見てみよう。もしかしたら欠点が見つかるかもしれない。
「どれどれ。」
「ここは・・・・・、これで大丈夫だ。」

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やり直し

どうやら、僕には文才がないらしい。
こうやって書き下ろしをしているとつくづく思う。筆が進まない。辛うじて書くことができた文章は、美術作家特有の、難解で、理屈っぽい、ジメジメと湿気を帯びた陰気な雰囲気だ。

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ここに一枚の絵があります

ここに一枚の絵があります。
その絵は何か具体的なものが描かれているというよりも、色がただ塗られているように見えます。照明のせいでしょうか、少し眩しく見えます。けれども、塗られている色はその光りを反射して、力強く輝いてもいます。あまり複雑な塗り方はされていません。塗られている色は赤と紺の二色です。それらが単独で塗られているところもあれば、混ざり合い鈍い光を放っているところもあります。

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続・それでもアートを買いますか?

どうでしょう、皆さん「本当にアートを買うことができるのかしら?」なんて疑問を抱くことはありませんか。巷にはアートの作品はあふれていますし、作品を買うこと=アートを手に入れることとして了解されていることだと思いますので、当然のこととしてアートを売買していると思います。

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アートが好きなわけ

何でアートが好きなんでしょうねぇ。と、自分に問いかけてみると、そんなこと今まで考えてこなかったかもしれないという思いがよぎる。
それでは何故にアートに関わっているのか。
僕の性格上、何となくということもありますという返答。

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自作を解説する

さて、ここでは自分の作品を解説するということになっているのですが、その前に「解説」という語の意味について、読者の皆さんと共有しておいたほうが話を進めやすいので、あらかじめ調べておきたいと思います。

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ラジオ鑑賞

感性の違いで/そういう部分で/私は/で/だんだん自分の立場を見い出していったんですよ/ただ/の距離を/固定観念を/無くなっちゃうんですよね/そういう情報を入れて/全然駄目/多分/無理/このような原因は/拒否された/特に/その違いを/解いてみた/事実の確認という意味になります/否定ですね/完了していない/全体として/この場合にも/私たちは経験的に/しかし

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アンビエントに

展覧会を見ようと意気揚々とギャラリーに足を運んだはいいけれど、いざ作品を見ようとすると、作品がどこにあるのかわからないということが時々ある。
その作家の作品を何度か見たことがあれば、だいたいどれが作品なのかわかるのだが、聞き覚えのない作家で、作品が置かれている環境に馴染んでいる場合など、どれが作品でどれが作品ではないのか区別がつきにくいものだ。

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写真行脚

写真を撮り始めてどのくらいが経つのだろう。気付けば、新品、中古合わせて所有しているカメラが数台にもなってしまった。僕の中には写真を撮ることと同じように、カメラという機械への偏愛があるようだ。
器用な日本人にとって光学機器という精密なカラクリは、そのような偏愛思考をくすぐるのかもしれない。根っからの日本人気質である僕がカメラに没頭してしまうのもうなずける。

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住めば都

美術の作家を見ていると、なんだか二通りに分けることができるように思えてくる。
一つは、さまざまなメディア(ただし、美術の範囲内で)を駆使して美術を考察していく方法。もう一つは、単一のメディア、例えば、絵画から美術を考察していく方法。

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街へ出たところで

先日、知り合いの展覧会を見にいった時のことだ。
その展覧会はさまざまなもの(例えば、写真や立体物、展示に使用した道具、廃棄物など)をギャラリー内に配置し、いわゆるインスタレーションといわれる展示形式で展覧会を構成していた。

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モアベターな場所

細野晴臣という人がいる。知らない人にはYMОのメンバーといえばわかるだろうか。テクノサウンドである。もっと知らない人には、イモ金トリオの「ハイスクールララバイ」を作曲/編曲した人といえばわかるだろうか。最近は多種多様な活動をしているのでここに挙げるのは避けるが、そんな彼の作品の中にトロピカル三部作と言われているものがある。

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インタビュー

「今はどうなんですか?」



「・・・・・残念ながら、もぬけの殻なんですよね。」

「そうですか・・・・・。」

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まえがき

この本は何と呼べばいいのでしょうか。一般教養としての新書本、あるいは美術の専門書、美術作家の日記、エッセイ、文学・・・・・。私はこの本のための書き下ろしを美術に関わりながら、また、内容も美術に多くの事を触れながら書きました。そうであるならば、この本は美術の本として読まれるべきものになります。

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遠方に/アートする美術覚書き

果たして「美術とは何か?」という問いに対して、どれくらいの人が答えることができるだろうか。
言葉を詰まらせる人、他の話題にすり替え答えを濁す人、雄弁に美術とは何かと語る人・・・・・。けれども、それら答えが、依然、身近な存在、近くにいる聞き手にしか届かないものであるならば、それは限りなく沈黙に近い語り、言葉でしかない。

2001

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スパイラル

ここにある、約束事に、馴染めない、支離滅裂の、裏返し、または反転。沈黙に、書かれた言葉、独り言、それとも誰に。きっとそれ、見たことのない、段落の、鏡に映る、透明な、季節の切れ目。見ることは、むしろ不可能。だけれども、囲いの中で、畳まれた、不可視の光、閃光の、支持体の裏。

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sample、葉書、あるいは

代り映えのしない、いつもの風景。
私、今、覚醒。
黙ったまま、動くこともなく、
待ちすぎたのかもしれない。
さもなければ、
昨日の夢。
2001.5.5

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美術家という生き方~制作における「金銭」をめぐって~

結果から言えば、作品(制作活動)のみで生計を立てるべきだとも、そうとは思わないとも言えます。
なぜならば、制作活動を含め作品を何とするか、また、美術に関わることをどう捉えるかによって、どちらの回答も寄せることができるからです。

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LIFE

伝達。最小の、特定の、いや、不特定。名刺。限られた、澱み。情報の、壁。名刺入れ。溜まり。言葉の、束、数字、名前。

2000

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破れた空の光をたぐって

それは突き抜けたところにあるというよりも、まるで目の前にあるかのようです。日々の暮らしに、いや、そこからさえも滑り落ちてしまう、それ。
真実は背後にあるという人がいるかもしれません。けれども、実際、誰がそこにいくことができたのでしょうか。回り込んでしまう表面。背後ではなく、後ろにあるにすぎないただの表面。

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再び訪ねて

そこには何もありませんでした。それは展覧会であるにもかかわらず、そう呼ぶにはふさわしくないほど、欠如し、脱色した風景としてありました。

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あなたの印象に残っている「風景」についてお話ください

このように「印象に残っている風景は?」と、聞かれると、私には他の人に言うほどの印象に残っている風景がないので、それらの風景を思い出し語ることに何かを見出すことができません。

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路地を吹き抜け

私は、いわゆる美術作品といわれているものが美術であろうとなかろうとどちらでもよいと考えています。それよりもそのつくられたものがいかに切実さを伴った表現なのかが私にとっては大切です。

1999

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もぬけの殻でこんにちは

唐突ですが、僕はこれまでの生活の大半を美術なんて意識することなく生きてきたのかもしれません。むしろ、美術など必要としないところで生きてきたのではないかと思うのです。幼い頃を思い出してみると、ちょうどテレビゲームが流行りだした時で、ほとんど毎日、友達とテレビゲームに明け暮れていましたし、ゲームをしていないときは何か面白い番組がないものかとチャンネルをカチカチと回していたものです。そして、文字嫌い少年だった僕は、小説など読もうとするはずもなく、魅力的な絵やセリフで僕を虜にしてくれたマンガに熱中していたわけです。

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それでもアートを買いますか?

素朴な疑問なのですが、アートの値段はいくらなのでしょうか?まぁ、確かに1号いくらとかはっきりと値段をつけている(つけられている?)人もいますし、中には戦略として値段をつけている人もいるでしょう。別に、値段をつけることは構わないのですが、問題なのはその基準なのです。正直なところ、僕自身、作品に値段をつけるとなると困ってしまうのです。

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日替わり留守番展 Vol.2

今回、河田政樹は Gallery ART SPACE Produce「日替わり留守番展」に参加することになりました。これまで私は「アートが何であるのか、いつ、どこでアートになるか」という問いかけを中心に、アートを考え作品といわれるものをつくってきました。そこでつくられたものは、アートとして作品として見られ、そう呼ばれてきました。そこで今回は、アートにならない、作品とならないところからアートを眺めてみようと思います。

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ひそやかなラディカリズム

○ いろいろ話してきたけど、あなたにとってアートが何であるのか、いつ、どこでアートになるのかということが重要なキーワードになっているよね。

1998

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私的な事かもしれませんが

私的な事かもしれませんが、アートの歴史を考えれば考えるほど多くのことを背負ってしまいアートをすることが不自由になっていきます。しかしながら、それと同時にそれから自由になりたいとも思うのです。

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モノをつくるということは

モノをつくるということは誰にでも備わっている能力であり、アーティストといわれている人々に限られた特別な行為ではありません。そして、つくられたモノも同等に語られるべきなのですが、実際にはさまざまな価値基準(経験)によって判断され体系づけられています。

1996

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「O.K.h」について

今の私にとって「O.K.h」とは、コミュニケーションをとる一つの場であり、ふだん私が友人と話したり遊んだりすることと同等の価値である。

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コメント

場に依存しながらも作品を自立させ、場から立ち上がらせること。また、自らを規制していく自由を獲得すること。

1995

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制作メモより

・希薄な状態へ
→作品そのものはものとして存在するが、その存在はあいまいであり、観者に認識されないことも有り得る。しかし、その場のささいな出来事やきっかけに触れることにより、作品は観者に対して現れ始め、その場自体が新たな感覚として立ち現れる。

English

2004

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The 2nd Fuchu Biennial

I haven't seen you lately. How you been? The other day, I moved to a town on a hill called S. I had not especially hoped to live in a town on a hill, but the view is nice, and ...

1999

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Modest Radicalism

A : We have discussed a lot of things, but I believe that the key questions for you are, What is art? and, When and whre dose it become art?
B : Yes. That seems to cover most of my conserns.
A : But this is the sort of problem that peaple called artist tend to take for granted.