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ここに一枚の絵があります

ここに一枚の絵があります。
その絵は何か具体的なものが描かれているというよりも、色がただ塗られているように見えます。照明のせいでしょうか、少し眩しく見えます。けれども、塗られている色はその光りを反射して、力強く輝いてもいます。あまり複雑な塗り方はされていません。塗られている色は赤と紺の二色です。それらが単独で塗られているところもあれば、混ざり合い鈍い光を放っているところもあります。しかし、全体としては赤い絵に見えます。そして、それら絵具は微妙なタッチで塗られています。そのせいでしょうか、遠くから見ているとふとした拍子に何か具体的なものが描かれているように見えるときがあります。けれども次の瞬間には、その形もどこかに行ってしまいます。空を眺めているような、全体に焦点が合うような感じです。ですから、それら塗られた色がキャンバスの上でうごめいているようにも見えます。どこか落ち着かないような、そんな印象です。けれども、この絵で一番印象的なのは、今にも崩れてしまいそうな、そんな印象を抱かせることです。塗られている色もなんだか落ち着かず、キャンバス自体もちゃんと組まれていない。だから、ちょっと触っただけで、木枠も布も絵具も全てばらばらになってしまいそうです。でも、どれがどれを支えているというわけでなく、それらがお互いに支え合っている、その絶妙な均衡の上にそれは成り立っているようです。たぶん、どれかの要素を取り除いてしまえばこの絵は絵でなくなってしまうのでしょう。また、どれか一つだけを見ると、とても中途半端な出来損ないの絵に見えますが、全体を見ると全てはがっちりと組まれている。けれども、少し間違えば簡単に崩れてしまいそうな、そんな感じです。何が描かれるべきのか、何を描くべきなのか、どういう状況に置かれているのか、どう見られるのべきなのか、どうあるべきなのか、絵であるために全ての要素は一度ばらばらにされて組み直されています。そして、それは確実に絵に近づくための方法でもあるように見えます。僕も、ここにある絵に近づくためにいろいろと観察します。けれども、核心的なところにはいっこうに近づいていないように思います。それは、もしかしたら別の方法でなければ見えないのかもしれません。でも、こうやって観察することでしか、この絵を見ることができません。それに、近づくことさえもできないでしょう。ですから、観察し続けるしかありません。少なからず、そうすることで、どうしても辿り着けないところをはっきりと見ることができます。でも、最終的には、ここにあるものが何であるのか、もう一度、確認することになるのでしょう。ですから、ここで言えることはおのずと決まってきます。
ここに一枚の絵があります。

『アートする美術』(かわだ新書001) / 2002年 / pp.47-49