Masaki Kawada Web

住めば都

美術の作家を見ていると、なんだか二通りに分けることができるように思えてくる。
一つは、さまざまなメディア(ただし、美術の範囲内で)を駆使して美術を考察していく方法。もう一つは、単一のメディア、例えば、絵画から美術を考察していく方法。
どちらがよいというわけではないし、結局は、美術を捉えるための方法、向いている方向が違うだけにすぎない。
けれども、僕は、美術作家として前者の方法をとりながらも、それらの方法では、もはや美術は捉えきれないとも思ってしまう。

きっと美術はそこにはない。

美術をすることが哲学をすること、音楽、文学など、あらゆるジャンルにどこまでも横滑りしていく。もはや、マルチなんて展開はナンセンスだろう。何をやっても、それは表現として相対化されつつある。
だから、僕は美術の作家が表現したものを、必要以上、美術に限定することもないだろうと思ってしまう。
それは、美術でもありうるし、そうでないこともありうる。
むしろ、僕たちは美術と呼ばれ、作品と呼ばれているものたちから、美術という、作品という呼び名を引き剥がし、その上で、それが何であるのかを見ていく必要があるだろう。

住めば都。

でも、すぐ隣の街では美術などないかもしれないことを、僕たちは辛辣に受け止めなければいけない。

『アートする美術』(かわだ新書001) / 2002年 / pp.17-18