以前、私の中に「O.K.h」という場が特別なものになっていくだろうという思いがあったが、月日が経つにしたがいその思いは少しずつ消えていった。
と言うのも、私にとって「O.K.h」という場が、徐々に息苦しいものになっていったからである。毎月一回の定例会という決まりきったスケジュールを行うことに、「O.K.h」という枠組みを取らざるを得ないと分かっていながらも、「O.K.h」というものに嫌気が差していたのである。三人が集まり、話し合いそれぞれが個々の仕事をしながら、この三人によって生まれる何かを見いだし、ある場を形成していくことは魅力的なことである。だが、今の私にとって、私が行うさまざまなコミュニケーションの中の一部に過ぎなくなっている「O.K.h」という場は、その場において何かを行っていくほどの力を失ってしまった。
今後のことはどうなるか分からないが、私の中で「O.K.h」という名前はどうであれ、この三人(あるいは、この三人に数人加えた人達)の場に対して、失った力が湧いてくるかもしれないし、湧いてこないかもしれない。
今のところ、私にとっての「O.K.h」とはそのようなものである。
1996.8.14 河田 政樹