Masaki Kawada Web

なみゆくながら、着かず、離れず。

ここに割れてしまった茶碗がある。新しく買い直すのもよいが修復もできる。では修復するならどちらの方法がよいか。修復した事がわからない状態にまで戻すのか、あるいは割れた事実を残しつつ修復するのか。

「なみゆくながら、着かず、離れず。」を通過した今、僕(たち)が選択するのは後者になるだろう。なぜなら、参加作家や作品、音、観客等を含めて、着かず離れずの関係の中で見えたズレを、あたかも無かったかのようにする事などまったく考えていなかったから。むしろそのズレが何なのかはっきりさせる方に力を注いでいた。そして、それは普段ならやり過ごしてしまう事でも、あらためて僕(たち)の今の事ととして捉え直す機会でもあった。そこでの話題がたわいもない事でも、すでに議論し尽くされている事であってもいい。問題はそれらが僕(たち)の前で疑問を投げかけていることにあった。

さて、割れた茶碗の話に戻るけれど、実はもうひとつ選択肢があった。それは割れた茶碗を修復しないで眺める事。そして、それをまったく別のカタチに置き換える事。茶碗としては使えないけれど、展覧会が終わった今、余韻としても続くだろう着かず離れずの関係や、これから残される(だろう)オンタイムトーク本(仮)の事を考えれば、それを選択することもあるかもしれない。

『なみゆくながら、着かず、離れず。』 / 展覧会記録集 / アキバタマビ21 / 2012年 / p.67