Masaki Kawada Web

全感覚 Vol.1

・その1

語には複数の意味が含まれていることがあるけれど、「春」や「本」もそのひとつで、季節や書物以外の意味がある。そこで、ここではそれぞれの意味を変えながら「春の本」と「本の春」について書いていこうと思う。まずは季節としての「春」と書物としての「本」から。
草木が芽吹き、花が咲き、心地よい日だまりの中で、この季節でしか感じることができない感覚や喜びがあることに気づく。そして柔らかな暖かさに誘われながら心や体がほぐされていく。
僕が思う春とはそのようなものだけれど、ある本と出会うことで僕の中に新たな芽生えを感じたり、ほかでは味わえない感覚を覚えて、誘われるように読み返すことがあるとしたら、その本は僕にとって「春の本」といっていい。そして、早春に芽吹いた草木が色彩を濃密にして夏を迎えるように、繰り返し読むことで、僕の中に感じた新たな芽生えがより一層その輪郭をあらわすことがあるとすれば、「春の本」は別の季節へと移っていく。では、「本の春」とはどのようなものか。
僕は、本が本であるためには読者との対話を待たなければならない、と考えているけれど、多くの植物が春の訪れを待って活動を盛んにするように、ある本が読者との対話の中で花を咲かせることがあるとしたら、あるいは、さまざまな読者と出会うことで対話が続くとしたら、それはその本にとって「本の春」になる。四季のはじまりである春は、読者との対話の中で、本が本であるための季節として相応しい。
本をめぐる季節。春の訪れ。それはまた、思春期を迎えた時のように、戸惑い、葛藤し、恋をすることでもあるだろう。

・その2

「春」。四季のひとつ。新年、正月、春を迎えて。勢い盛んで、春をうたう。思春期、青春、春のめざめ。色情、春情、春を売る。シュンと読めば、どこか性的。おかしな行動をする人は春な人。
「本」。書物。もとからあるもので、本質。もととしてみならうべきもので、手本。もととなるもので、本家。まことで、本物。モトと読めば、起源、以前、基本、根拠、原因、資本、原価、原料、木の根や幹に和歌の上の句。
「ハルノホン・ホンノハル」「シュンノホン・ホンノシュン」「ハルノモト・モトノハル」「シュンノモト・モトノシュン」は読みの組み合わせ。
もちろん「春の本」を「シュンノモト」と読んだり、「本の春」を「まことの色情」と解釈する人は稀だと思うけれど、もし「春」の読みを「シュン」としか、「本」の意味を「もとからあるもの」としか知らない人がいたらどうだろう。その人には「春の本」から「春のうららかな陽気の中で心がときめいてしまう書物なのかな」と想像を膨らませることはないだろうし、知っている意味によっては「新年の原因」といったように、理解に苦しむものになって頭を抱えてしまうかもしれない。でも「春のうららかな・・・」とは別のことを想像したり、予想もしなかった解釈をする可能性もある。
「春の本」と「本の春」。それぞれの「春」と「本」が四季のひとつとして、書物として示されていたとしても、それは「青春の本質」や「もととしてみならうべきものの春情」でもあり、「春情」を介することで「本の春らしい様子、いろけ」へと、また「シュン」というその響きから「旬の本」や「しゅんとなる本」と連想することへも開かれている。

『全感覚 vol.2』 / 2012年 / p.7, p.15