Masaki Kawada Web

それでもアートを買いますか?

素朴な疑問なのですが、アートの値段はいくらなのでしょうか?まぁ、確かに1号いくらとかはっきりと値段をつけている(つけられている?)人もいますし、中には戦略として値段をつけている人もいるでしょう。別に、値段をつけることは構わないのですが、問題なのはその基準なのです。正直なところ、僕自身、作品に値段をつけるとなると困ってしまうのです。基準を求めようとすれば求められるのですが、そんな基準はいつでも変えられるわけで、絶対ではあり得ないのです。ですから、高いか安いかはもちろんのこと、タダということもあり得るのです。で、なぜ僕がこのように考えてしまうのかということなのですが、ここ日本において何を基準に、または、何を根拠にアートとするのかということが疑問としてあるからなのです。毎週、どこかのギャラリーや美術館で展覧会が催されているのですが、そこに行ったとしてもアートに出会えるかどうか保証はないわけです。(まったく出会えないとは言いませんが)なんであろうと構わないのであればそれでよいのですが、アートの名のつくところでやっている以上、そのことに対して責任をとっていかなくてはいけないと思うのです。それを曖昧に隠したままやっていくのは単なる逃避でしかないのであり、実際、アートと名のつくところで責任が取られているかと言うと僕は疑問符を投げざるを得ません。僕自身のことで言えば、僕のやっていることはアートと名付けられないことなのかもしれないし、でもきっとこれがアートなんだとも思うのです。ですから、アートと名のつくところでやり、そこで責任を取って行こうとしているわけですが、その反面、アートという名に疑問を抱いているわけですから、アートを解体し再生させていこうとも思っているのです。「まぁ、なんて矛盾なんでしょう」と思われるかも知れませんが、アートの現状はこのようなものであり、アートのことなんて誰も分かっていないかも知れないのです。
さて、僕がこのように矛盾に満ちた人なので、アートの現状もこのように見えてしまうのかもしれませんが、もし、ここ日本においてアートがありそうでない、なさそうである、いかなる基準も根拠も持ち得ないものであるならば、皆さんはそれでもアートを買いますか?

追記
だから、アートを買うとも言えるのよ。

1999年5月9日

『etc.』 / 1999年6月号 vol.12(第2期)/ p.28