Masaki Kawada Web

美術家という生き方~制作における「金銭」をめぐって~

① 氏名

河田 政樹(かわだ まさき)

② 生まれた年(西暦)

1973年

③ どのような制作活動をしていますか(素材、テーマ、形態など)

素材やテーマ、形態など、その都度、異なるので、特に限定することができません。

④ 生活の収入のために、現在を含めて今までにどのような仕事をしてきましたか(その内容など)

その時に私ができる仕事をしているだけなので、特に内容を限定して仕事をしていません。

⑤ 今の日本では、制作活動のみで生活してゆくことは非常に困難ですが、そうしたことについてどう考えていますか。

受け入れるしかありません。この先、どうなるのかは予想でしか言えませんし、美術と関わり始めた時から状況は変わっていないので、そのようなことに抵抗を感じながらも、また、現時点での私の状況を考えると、抵抗だけでは暮らしていけないので、まずはこの状況を受け入れることから活動しています。

⑥ 作家は、作品(創作活動)のみで生計を立てるべきだと思いますか。そう思われる方は、そのために自分は何をすべきだと考えていますか。また、そう思わないという方は、その理由を答えてください。

結果から言えば、作品(制作活動)のみで生計を立てるべきだとも、そうとは思わないとも言えます。
なぜならば、制作活動を含め作品を何とするか、また、美術に関わることをどう捉えるかによって、どちらの回答も寄せることができるからです。
例えば、どのような活動であれ、作品と、制作と見られてしまえば、作品として、制作として成立してしまうこともありえますし、また、作品が単にある時点での結果であるとすれば、そこに至るまでの行為全てを制作活動と捉えることも可能です。
ですから、仮に生計のために制作とは見られることのないことをしていたとしても、結果として、作品と制作と見られないだけであり、実は制作活動であったり、その逆に、制作活動と見られていたものが、実はそうではないということはいくらでもあると思います。
そう考えていくと、この質問のようにどちらかをはっきりと選択できないような作品(制作活動)の場合、作品(制作活動)のみで生計を立てるべきとも、そうとは思わないとも、なんとも質問に対してあいまいな回答になってしまいます。

⑦ 生活のために仕事と制作活動との両立についてどう考えていますか。

⑥の質問でも回答したように、仕事と制作活動を分けるその基準が問題になります。このように言葉にするとはっきりと意味が分かれているように思えますが、実際にはそのように両極にあるのではなく、むしろ、それらは重なり合い、分けることが困難なことのように私には思えてきます。

⑧ 結婚し家庭を持ちながらなおかつ制作活動を続けるということについて、自分自身の現実と照らし合わせてどう思いますか。

現時点で私は結婚していないので、自分自身の現実と照らし合わせて話すことができません。このようなことを予想で話すことも仮定として話すことも、今の私には困難であり、意味がありません。

⑨ 助成金を受けるなどして、海外で活動してゆく方法についてどう思われますか。

助成金を受ける、受けないに関わらず、海外で活動すること自体に何か言うことはありません。私としては、助成金を受けるなどして、海外で活動してゆく方法も、あらゆる活動の中の一つの手段であり、必要があればその方法をとるに過ぎません。むしろ、その方法(どのような方法でも構いませんが)よりも、その後のことのほうが私にとっては重要です。

⑩ 作品を「売る」ということについてどう思いますか。

最終的に作品が何処に向かっているのか、そのことによって売るという行為の意味は変わると思います。
作品が作者以外の誰かに渡る、一つの例として、作品が雑誌なり別のメディアを通して流通することで、結果的にそこに売る行為が発生するように、売ることを目的にするというよりも、作者から離れ別の場所に行く、その途中に介在するのが、売る行為になるのではないでしょうか。
ただし、作者から離れ別の場所に行く、その途中に介在することとして売る行為があるとすれば、それと同様に売らないということも当然あり得るわけです。
先にも書いたように、私にとっては作品が何処に向かっているのかが重要であり、途中に介在するそれ(ここでは売るという行為ですが)はいかようにでも変化するものであり、また、売るという行為はその一例に過ぎません。

⑪ 貸画廊のシステムについてどう思いますか。

貸画廊のシステムについて、私から特に言うことはありません。
私が美術と関わるうえでさまざまな手段をとるように、貸画廊のシステムをとるのは経営するうえでの、美術に関わるうえでの一つの方法に過ぎないと思います。私のように画廊の経営者でない者にとって、画廊側がどのようなシステムを取り入れているかはさして重要ではありません。むしろ、そのシステムを取り入れ、いかに美術と関わっているのかが重要であり、どのようなシステムを取り入れている画廊であったとしても、私にとっては、その画廊といかに関わっていくのかが重要なことになっています。

⑫ 自由に使えるお金が200万円あったら何をしますか。

このような質問、あまりにも夢見心地すぎて、私には現実的に捉えることができません。

⑬ お金の節約のために何か特別なことをしていますか。その内容を書いてください。

特にありません。その時必要な事をしているだけです。
ましてや、どこで消費されるお金のことなのか、この質問ではわからないので答えようがありません。

⑭ その他、美術にまつわるお金の話を自由に書いてください。

作品や制作活動に関わらず、生活自体が金銭に関わらざるをえないのですから、その延長線上にあるだろう、作品や制作活動はいやおうなく金銭のことから遠ざかることはできないと思います。仮に遠ざかることができたとしても、遠ざかるだけであって、縁を切ることはできないと思います。 また、仮に金銭に関係のないと言う人がいたとすれば、そのように回答する時点で、金銭の問題に関わっていると私は考えます。 実際に、制作活動をしているとそれから自由になっている(錯覚?)と感じることもしばしばありますが、やはり、美術全体のこと考えると、関わらざるを得ないと感じます。
しかし、金銭に関わる問題が重要だと思いながらも、それを目的にして美術に関わろうとは考えません。
私の制作活動にとって、その問題は、数ある二次的な問題の一つに過ぎないのです。金銭の問題を無視することはあり得ないのですが、しかし、そこを問題に、目的にしてしまうのは、私が考える、美術に関わる姿勢とほど遠いものがあります。
もし、金銭の問題に関わっていないと感じる時があるとすれば、それはあらゆることから無視されていると感じる時ではないでしょうか。

『Infans』 / No.6 / 2001年 / pp.62-63