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ぼくのじじょう 僕の事情 ジョン・レノン

かつてジョン・レノンは誕生した我が子が5歳になるまで、子育てに専念すべく音楽活動を休止した。高校生の時、ジョン・レノンの曲を飽きることなく聴いていた僕は、そんな彼の行動に驚きと好感を持ちながら、僕も子供を授かったらハウス・ハズバンドだと半ば夢見心地に憧れていた。けれども思春期が終わるにつれてジョン・レノンへの熱が冷めはじめると、夢から覚めるように憧れも薄れていった。

2011年、息子が生まれた。母子家庭で育った僕には父親像というものがほとんどない。あるとしてもそれはいつも借り物だった。それでも僕は、戸惑いながらも借り物の中に父親としてあるべき姿を探し求めた。そんな時ふと、薄れていた憧れとともにジョン・レノンが子育てに専念していたことを思い出した。
なぜジョン・レノンは音楽活動を休止してまで子育てに専念したのだろうか。前妻に生まれた子供との関係に挫折感を覚えたからか。それもあるかもしれない。けれども僕は、オノ・ヨーコとの間に生まれたショーンと日々向き合うことの中で、時に鏡のようにショーンが映し返し示しただろう、父親としてのジョン・レノンを彼自身が見つめ受け止めるための、そしてジョン・レノンが自身の事情で子育てに専念したように、まだ幼いショーン自身にも言葉にならない事情があるということに気づき、それに耳を傾けなければいけないと感じ取ったからではないだろうか、と思う。
父親としてあるべき姿。借り物でしかない父親像。僕は探し求めるのをやめることにした。

思えば僕にとって作品をつくるということは、映し返されるいまだ何かとしか言いようのないものに向き合い、耳を傾け、それを受け入れながらつねに捉え直すことの営みだった。高校生の時に抱いたあの憧れは、いま目の前に現れていることとして、息子との暮らしの中で子育てと分け隔てることなく、作品をつくることへも僕を向かわせている。

『子育てと美術』 / 藍画廊 / テキスト / 2013年