Masaki Kawada Web

かわだ新書の創刊に際して

1999年、河田政樹によるテキスト集『ノート』が自主発行され、それまで作品集の一部として構成されていたテキストは、展示作品とは別の解釈を、言葉による表現として日ましに自立しつつあった。しかしながら、2001年9月、過酷な社会情勢のなか、『ノート』はたび重なる再版の末、休刊のやむなきにいたり、越えて10月、「スパイラル」の掲載を最後に『ノート』はその第1期を終了した。

2001年8月、『ノート』休刊と前後し、かわだ新書プロジェクトが始動する。日本の美術が、バブル崩壊後の冷めた現実を見据えた、新たな美術表現を築き上げてゆくためには、自主的精神の確立こそ一層欠くべからず要件であった。言葉という営みを通じて美術と社会のさらなる関係を念願とした多くの先人達の意志を継承し、厳しい社会状況下の『ノート』の趣意を改めて新書に発展させることを意図して、2002年、自主発行以来の基本的方針を堅持しつつ、『ノート』はここに、再び装いを改めて、かわだ新書として新たに出発をはかる。

かわだ新書創刊の志は、もとより、『ノート』の延長線上に、言葉による美術表現、冷静な芸術精神を追及し、世界的視野に立つ自主的判断の資を提示することにある。発刊の辞は、「言葉による現代人としての現代的美術表現を目的としてかわだ新書を刊行する」とその意を述べている。また、技術の発展は、美術の意味を根本的に問い直すことを要請し、近代を形成してきた諸々の概念は新たな検討を迫られ、世界的規模を以て、時代転換の胎動は各方面に顕在化している。しかも、今日にみる価値観は、余りに多層的、多元的であるが故に、美術が長い歴史を通じて追及してきた表現をすら見失わせようとしている。「言葉による現代人の現代的美術書」という辞は、このかわだ新書において、以前にもまして積極的な意味を賦与された。

かわだ新書は、21世紀の新たな年月を生き、さらなる美術表現への展望をきりひらく努力を惜しまぬ辛辣な人々に伍して、現代に生きる文字通りの新書として、その機能を自らに課することを念願しつつ、この新たな歩みは始まる。
創刊にあたり、今日の状況下にあってわれわれはその自覚を含め、美術の基本的表現の伸張、社会的表現の実現、国際的視野に立つ豊かな美術的創造等、日本の美術が直面する諸課題に関わり、広く時代の要請に応えることを期する。読者諸賢の御支持を願ってやまない。(2002年7月)

『アートする美術』(かわだ新書001) / 2002年 / p.136