それは展覧会であるにもかかわらず、
そう呼ぶにはふさわしくないほど、
欠如し、
脱色した風景としてありました。
僕が訪ねたのは、
午後の三時頃だったと思います。
その日はとても晴れていて、
散歩するには心地よい日和でした。
脱色した風景は、
午後の光を遮りながら、
色を失い、
気だるく、
音さえも、
欠如しているにもかかわらず、
とても美しく、
そこにありました。
欠如。
その日、窓から眺めた景色が、
いつもより静かに感じられたのは、
偶然でしょうか。
そして、いつもよりも、
表通りの喧騒が良く聞き取れたのは、
偶然でしょうか。
脱色した風景は、
あまりにも欠如しているがゆえに、
そこに居合わせた者は、
できた隙間を埋めるために、
全ての感覚を研ぎ澄まし、
そう欲するのかもしれません。
窓の向こうとこちら側。
脱色した風景が向こうに落ちていきます。
いや、
向こうというよりは、
厚みも奥行きもない、
ただ広がりがあるだけの、
窓硝子の表面。
街の景色も、表通りの喧騒も、
全てはその窓硝子の表面に。
交わることのないその表面。
欠如から生まれるその表面。
午後の光を遮りながら、美しく思えたその、
脱色した風景は、
なぜ、
僕に美しいと思わせたのでしょうか。
交わることのないその、
光と、
風景。
そして、
そこに生じる、
亀裂。
魅惑に満ちた亀裂。
それは、
交わることができないからこそ、
はじめから、
交わることなどないからこそ、
魅惑に満ちた亀裂となり、現れます。
たった一枚の窓硝子に仕切られた、
向こうとこちら。
そして、そこに生じた亀裂/魅惑。
その日、僕は、
いくつかの亀裂を見ました。
それは、
魅惑の芽生えではあったものの、
僕に美しいと思わせるには、
十分であったように思います。
2000年4月14日