Masaki Kawada Web

ひそやかなラディカリズム

○ いろいろ話してきたけど、あなたにとってアートが何であるのか、いつ、どこでアートになるのかということが重要なキーワードになっているよね。

● うん、そう。ほとんどそれだけで成立していると言っていい。

○ だけど、そういうことってアーティストと言われている人々が、当たり前のように抱く問題だとおもうけど。

● そうだよ。でもね、大体の人がアートが何であるのか、いつ、どこでアートになるのかという問題を例えば絵画や彫刻の問題にすり替えていると思う。

○ 絵画や彫刻の問題の中にだってアートが何であるのか、いつ、どこでアートになるのかという問題も含まれているんじゃないかなぁ。すり替えているとは思えないけど。

● いや、重要なのはアートが何であるのか、いつ、どこでアートになるのかという地平に立ったときに、絵画や彫刻、その他何でもいいけれど、それらが単なる手段にすぎなくて、手段を問うたからといって地平は見えるかもしれないけれど、その地平に立つことは出来ないということだよ。

○ でも、表現するためには何らかの手段を選ばなくてはいけないでしょ。あなただって何らかの手段を選んでいるよね。

● 僕ははじめから手段を選ばない。手段は後から決定されるから。

○ それは、手段は何でもいいということ?

● 極端に言えばね。でも、それは必要に応じてであって、いろいろやることがいいというわけじゃない。少し話が変わるけど、本当にいいものに出会った時って、手段からは見えてこないと思う。本当にいいものには決定的な手段が必要だと思うけれど、手段はあくまで手段だから。手段から一歩前先にいかなくちゃいけない。そのためには、手段はあくまで手段という認識が必要だと思う。

○ だけど、一つの手段を純粋に探求している人だっている訳だし、その中からだっていいものは生まれてきている。あなたがさっき言っていた地平にだって立っていると思うし、立てたのは一つの手段を純粋に探求していたからと言えなくもない。

● 一つの手段を探求すると言っても、本当に手段を探求していたら僕の言う地平には立てないよ。一つの手段でなら話は変わってくるけど。

○ 何かを表現することを考えたら、アートが何であるのか、いつ、どこでアートになるのかということだって一つの手段になるんじゃない。あなたはアート自体を問題にしているよね。そうしたら、アートという一つの手段を純粋に探求していることになるんじゃないの。

◎ ねぇ、あしたの天気、晴れかしら?

(自宅にて自問自答)

『ひそやかなラディカリズム』 / 展覧会カタログ / 東京都現代美術館 / 1999年 / p.76