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アーティスト・ライフ

河田政樹です。1973年、東京に生まれました。初個展がデビューとすると約4年が経ったことになります。これまでに制作してきた作品ですが、その都度、必要な手段、方法で制作してきましたので、例えば、各作品の素材や形態などについては語ることができますが、全体を一つとして語ろうとすると、統一している何か、キーワードでもいいのですが、それがあまりにも見えづらいので、それを語ったところで作品の直接的な説明にはならないと思っています。敢えて一言で言うとすれば、「美術に関わっています」や「美術とは何か?という問いかけを中心に表現をしています」というような表現になるかと思います。そんな作風ゆえでしょうか、他の人からは「ひそやか系」、「営み系」(注1)、「全方位・全景姿勢」(注2)などと形容されています。

代表作はありません。知名度もありません。作品の価格も安く、売れ行きもよくありません。当然、そのようなな状況ですから、作家の収入だけでは暮らしていくことなどできず、別の収入を頼りにせざるを得ません。けれども、僕には作家の収入だけで暮らしていこうなどという硬派な考えもなければ、その逆の軟派な発想もありません。要するにそういう区分け自体が無いということです。業種のこだわりもありません。その時できる仕事をするだけです。仕事がなければ現状維持。なりゆき次第。それは、作家としての抵抗と妥協であり、言い方を変えれば、柔軟な対応ということができるでしょう。

ところで、作家として美術に関わり始めて以来、僕は美術の状況に根本的な変化がないと思っています。確かに美術の動向は移り変わっているように見えるのですが、変化があるとすれば、いつもその表層にすぎないと捉えているわけです。そして、僕はそんな変化に対して、始めから受け入れる態度で接しています。判断、決定は取りあえずその後で。保留ですね。それでも間に合うほど美術の変化はウサギの仮面を被った亀の歩み。作家と自称したところで、または、そう呼ばれたところで戦う場所などどこにもありません。休戦状態。機能不全。あってもないのと同じ。日常生活と作品制作の区別も曖昧なまま。始めからそれらは区別できないものとしてあるのかもしれません。美術に侵され日常に侵され、弛緩した緊張状態の連続。

思うに、そうような区別をする際の判断基準は幾らでも設定、変更可能だからこそ、そのような日々が続いてしまうのでしょう。もし、判断基準が求められる時があるとすれば、その都度、言葉でもって区切るほかありません。昨日はあそこで、今日はここ、明日はどこかしら、なんて境界線は幾らでも引けてしまいます。正しいと思って引いた境界線が間違いなんてことも往々にしてあります。正解も間違いも背中合わせ、何かの拍子に裏返ることだってあるでしょうし、他の言葉でしか言い表すことができないことだってあるでしょう。ですから、仮に判断ミスで受けた誤解も客観的な判断の一つとして、評価の対象として、まずは受け入れてという態度です。

しかし、そのように線引きが幾らでもできてしまうと、例えば生活と作家活動の両立というような言葉が似付かわしくないように思えてきます。そもそも、両立というような言葉は二項対立の状況に対して使うことができるのですから、線引きが幾らでもできてしまう、または、線引きする必要がない状況の場合、両立という言葉を使い、語ることができません。もし、それでも私事として両立という言葉を使い、それに当てはめて語ろうとすれば、その語りは宙に浮いたものになってしまうことでしょう。

ということで、宙に浮いた話は止めるとして、ここからは美術との関わりについて話していこうと思います。僕は美術の作家ですし、それは今のところ私的、現実的、社会的話題でもありますからね。
それでは、美術との関わりですが、関わり方は人それぞれ、千差万別、多種多様です。僕自身、数多くある関わり方の一つとして作家という関わり方を選び、また、それ以外の関わり方もしています。
また、美術と関わるといった場合、僕と美術の間に形作られるものが関わりということになります。そして、作家という関わり方をした場合、僕と作家と美術というそれぞれの繋がりにまた関わりが形作られます。ですから、そのような関わりが縦に横に広がれば広がるほど、より複雑な関わりになっていくわけです。

しかし、それら関わりの善し悪しを判断するためには、それら関わりによってどのような結果がもたらされたのかが語られなければいけません。なぜなら、それら関わりという形作られたものは、ある目的のために使用された数ある手段、方法、関わり方の現れ、結果でしかないからです。それら手段や方法、関わり方はある目的のために適切に使用されればよい関わりが形作られたと言えるでしょうし、適切に使用されなければ悪い関わりが形作られたと言うことができます。別の言い方をすれば、同じ関わり方でも使用方法を間違えれば異なった結果が出てくるということです。
ですから、関わりのみを語ることには意味がありません。結果を語らずして関わりを語るべからず。それら関わりは結果という現れに伴う副次的な話題にすぎません。そして、それは副次的な話題として重要でもあります。

そのような副次的な話題は他にもあります。例えば、作品を売るという行為です。
作家によって、売るということが作品を制作することの目的になっている場合もあるでしょうし、僕のように副次的なこととしてある人もいるでしょう。しかし、売るという行為が副次的な事でしかない場合、その行為は他の行為とすり替えることができます。例えば売らないということもその内の一つでしょうし、他にも多々あるでしょう。優先させられるのは、作品が辿り着く場所、目的地であり、売るという行為はその道程にあるにすぎません。当然のように、作品の向かう場所が変われば売るという行為の意味も変わりますし、その行為自体、別の行為に変わります。

決して売るという行為を軽視しているわけではないのですが、考え方次第では、さして重要なことでもない場合もあるということです。そして、それは関わりと同様に副次的なこととして重要だということです。
矛盾した言い方になってしまいますが、金銭の問題は、美術の作品を中心にして考えていくと、必ずしも重要ではない、本質的ではないこととしてありながらも、無視することはできないこととしてある、ということです。

しかし、そのように言いながらも、売るという行為を始めとして、金銭に関わる行為は作家である以前に、社会的存在として僕たちが生活している以上、無視することはできません。仮に金銭の問題を無視することができる、逃れることができると考える人がいるとすれば、そう語った時点で金銭の問題に触れているということにならないでしょうか。
もし、そのような金銭の問題を含め、あらゆることから関わりがないと感じるときがあるとすれば、それはあらゆることから無視され沈黙を迫られた時でしょう。

しかし、悲しいかな、それでも表現者が表現者としてあろうとするとき、沈黙を沈黙として語らなければならない場面に立たされるのです。(まさにここに書かれた言葉のように!!)
そして、それはまるで美術など既にないかもしれないと、どこか心の奥底で思っていながらも、美術を肯定し、表現者、作家の存在も肯定し、美術と関わるざるを得ないということに似てもいるのです。

(この文章は「美術家という生き方〜制作における「金銭」をめぐって〜」『Infans』no.6、2001年、62〜63頁に掲載されたアンケートの回答を原文とし改編した。)

(注1:村田早苗「営み系─〈予め充たされた世代〉の美術家という生き方」『Infans』No.6、2001年、99頁。)
(注2:白坂ゆり「遠まきの世代 ゼロゼロ・トーキョー/not clear not dark」『美術手帖』2月号、2002年、91頁。)

『アートする美術』(かわだ新書001) / 2002年 / pp.69-75