Masaki Kawada Web

モアベターな場所

細野晴臣という人がいる。知らない人にはYMОのメンバーといえばわかるだろうか。テクノサウンドである。もっと知らない人には、イモ金トリオの「ハイスクールララバイ」を作曲/編曲した人といえばわかるだろうか。最近は多種多様な活動をしているのでここに挙げるのは避けるが、そんな彼の作品の中にトロピカル三部作と言われているものがある。
『トロピカル・ダンディー/TROPICAL DANDY』(1975年)、『泰安洋行/BON VOYAGE CO.』(1976年)、『はらいそ/PARAISO』(1978年)である。
いずれも70年代の作品になるが、この作品群、どこかねじれている。

この三部作は、トロピカル(オリエンタル)という欧米(西洋)から見た日本(東洋)の幻想をさらに裏返して、日本人がトロピカル(オリエンタル)のテイストを元に音楽をするということをコンセプトにしている。いうなれば日本人が日本人を演じるということである。
細野自身はこのことに自覚的に、そして戦略的に展開していくのだけれども、僕が興味を持つのは日本人が日本人を演じるその裏返しであり、それはまた、妙に日本の美術シーンを言い当ててもいる。

僕たち日本人は美術をするうえで否応無しに欧米の美術/アートを下敷きにそれをしている。もし、僕のような美術作家がトロピカル三部作を美術/アートでやろうとすれば、欧米観の上に成り立つ美術/アートから見た日本の美術を僕たち日本人がするということになる。それは、後期印象派の一人であるゴッホが、浮世絵に興味を持ち自らの画風に取り入れたその絵に、日本人である僕たちが影響を受け、絵を描いたことに似ている。

しかし、それは随分前のこのとでもあるから、現在の日本の美術シーンを言い当てることはできないかもしれない。が、僕たちは欧米にあこがれ追いつき追い越せ、息を切らせて走ってきた。でも、行き着く先はいつもそのような欧米発、欧米印の日本着ではなかっただろうか。僕たちは本当にそこから抜け出すことができたのだろうか。
トロピカル三部作は、日本発、欧米経由、欧米印の日本着である。しかし、そこにはもう一つのねじれ“そのような飛行経路自体を演じきるということ”がある。

僕が思うに、当時、ポップという音楽をすること自体、欧米印になることでもあっただろうから、それをどこまでも保留していくものとしてその飛行経路自体を演じたのではないだろうか。
実際、細野はマーティン・デニーの「"Sayonara",The Japanese Farewell Songs」やヴァン・ダイク・パークスにノックアウトされてトロピカル三部作をつくることになったようだけれども、本当は完全にはノックアウトされていなかったのかもしれないと思えてくる。僕には細野が本質的に持っているだろうしたたかさがその三部作に見え隠れしているように思えて仕方がない。

本当の演技者/ミュージシャンが持つ、奥底に鋭く光るしたたかさ。そのしたたかさの裏には、欧米印の日本を建て前に、実はそんなもの信じちゃいないよと軽々と走り抜けていくようでもある。そして、そんなところに着地するつもりなんてないよと言わんばかりであるようにも思えてくる。
トロピカル三部作最後の作品『はらいそ/PARAISO』のラストに「はらいそ」という曲がある。そして、その曲の最後にこんなフレーズが入っている。
曲の最後、細野の走る足音が挿入されつつフェードアウトしていく。全ての音がなくなった後、再び細野の走る足音がフェードインして、僕たちの前で立ち止まったかのように、その足音が止まる。そして、僕たちに語りかけるように入る最後のフレーズ。

「この次は、モアベター(More Better)よ。」

細野はこれを最後にテクノサウンドを一気に加速、東京テクノポリスという幻想を掲げ、世界を相手にすることになる。
しかし、今はもう東京テクノポリスなんてものはない。それに、僕たちはそんな幻想に着地できないこともわかっている。それでも僕たちはどこかでそのモアベターな幻想を求めてもいる。
では、次にくるであろうモアベターな場所はどこにあるのか。細野がトロピカル三部作で見せた極上ポップを踏み台にして飛んでいったモアベターな場所。僕たちが求めているモアベターな場所。
それは、当然のように、トロピカル三部作から始まる裏返しの幻想を突き抜けた場所でなければならない。

『アートする美術』(かわだ新書001) / 2002年 / pp.7-11