Masaki Kawada Web

インタビュー

「今はどうなんですか?」



「・・・・・残念ながら、もぬけの殻なんですよね。」

「そうですか・・・・・。」



「こんなことを言うと誤解を招くかもしれませんが、僕はここ日本で美術作家として作品を発表しているし、そうである以上、今のところ足場であるここ日本の状況を見てちゃんと捉えなければいけないと思っています。僕が美術作家として関わってきて思うことは、やっぱり美術自体の認識がこの場所にはほとんど皆無だということなんですね。まぁ、こんなことは僕が言わないまでも他の人が言っているのでそちらに任せるとして、僕が考えていることは“ここ日本において僕は美術を思考することができるのか?”ということなんです。」

「そういうことはいつ頃から考えていたんでしょうか?」

「僕の生い立ちは年譜を見ていただければわかると思いますが、特に美術に囲まれた環境で育ってきたわけではないし、今、こうして美術に関わりながら文章を書いているのも、強い意志があったわけでもなくて、なんとなくというなんとも中途半端な意志のまま始まっているわけです。まぁ、そういうことに対してはすぐに意識し始めましたけどね。それに、最初はまだしも、美術に関わり始めるといろいろと無自覚にはいられなくなってきて、単純に美術って何だとか、表現とは?なんて素朴な問い掛けになるんだろうけれども、そういう風に考えることが、ある時、必然になってくるんですね。どうしたらいいものだろうと思うのだけれども、僕自身、不思議なわけです。何でそんなこと考えなくちゃいけないのかってね。自然なことではないわけです。僕がそれまで美術と思ってきたものは、圧倒的に日本のものではないですしね。基本的に美術なんて教育されなければ知ることもなかっただろうし、僕の記憶の中にはあまり日本の美術について学んだ記憶がないんですよ。それに美術との断絶感というか、僕には関係のないことと思っていましたから。要するに、無関心の対象だったわけです。簡単に言えば、学校の教科書や美術館に行けばあるものに過ぎないということです。生活にはまったく入り込んでいない、関係がなかったんですね。だから、僕にとってはいつでも外にあるものなんです。基本的にはその外部にあるものに親しみ、教育され育ってきたのだから、おのずと美術という言葉と直結するものは、そういう外部のものになってくる。それはまた、いわゆる日本古来の伝統のものとはまた別のものと捉えているわけです。まったく別のとは考えていないけれども、直結はしていないわけです。当然といえば当然ですけれど。」

「なるほど。美術に限らずそういうことはありますか?」

「そうですね。例えば、僕はロックやスタイリッシュでソウルフルな音楽に多く耳を傾けているし、民謡や雅楽なんてほとんど聞くこともない。でも、こういうことはちょっと離れてみると、民謡や雅楽と同じように美術だって意識しなくちゃ忘れてしまうものだってことも言えると思うんですね、個人の中では。テレビで言うと、チャンネルが合わない、サンドストームを見ているようなものなんです。サンドストームを見て楽しんでいたらちょっとおかしいですからね。そういう回路が自分の中にあってもいいとは思いますけど。でも、チャンネルが合わせられなかったら、いくら放送局から電波が送られてきても見ることはできないでしょ。放送局は不特定多数に一方的に流しているし、受信する側もチャンネルが合わせられないからそんなこと知らんぷり。まあ、そんな感じではないですかね。今、僕がおかれている状況は。僕が流している電波は本当に届いているのかって思いますよ。それに、もしかしたら受信するチャンネルすらないかもしれないですしね。多くの声は「チャンネルが合うところに流せ!」とでも言っているんじゃないですかね。でも、わかるんですよ、そういう気持ちも。僕は電波を送る側にいながら、そういうふうに言っている人たちの中にもいると思ってますから、正直な話。」

「興味深いお話、ありがとうございました。時間があれば、番組の最後にもう一つ、質問しようと思いますので、興味がある人はそのままで。それではここで一曲、聞いてもらいましょう。」

(自宅の一室にて行われた自問自答をインタビューとして改編した。)

『アートする美術』(かわだ新書001) / 2002年 / pp.1-5