月別アーカイブ: 2020年3月

2020.03.22

あと5日

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お知らせが遅くなったけれど、かみさんがミッドタウンにあるお店で展示をしています。
会期は延長されて今月26日まで。
よろしくお願いします。

- ART MEETS PEOPLE vol.040 -
ART & AROMA 展
香りを聞き、香りを彩る

STYLE MEETS PE●PLE
東京ミッドタウン ガレリア3F
stylemeetspeople.com/articles/61

2020.03.08

沈黙と測りあえるほどに

武満徹著『音、沈黙と測りあえるほどに』を読む。

吃音に関しての記述は興味深い。
もちろん、その他にもいろいろ。
でも、その中で今、繰り返し読んでいるのは「一つの音」と題された文章、そしてこの部分。

以下、長いですが引用します。

では邦楽(の音)は、今日の私(たち)の音楽生活とは無縁のものとして捨去るべきだろうか?
 だが、伝統的な邦楽は、この地上に存在する他の多くの音楽と同様に、私を捉えて離さない。
 作曲という音楽的表現行為が、人工的な技法の問題としてしか理解されず、また形式上の斬新さがただちに新しい価値であるように錯覚されている「個性」にたいする誤った考えのまえに、音はついに自然の音のように無に等しい状態にたち還って行くという認識は、批評を超えた恐るべき問いとして活きているように思う。私はこの認識の根かたにひらけている異質の音の領土を、西欧的訓練を経た一個の作曲家として歩きたいと思う。西洋と日本の、異なる二つの根源的な音響現象の秩序を生きた、異なった二つの音楽を自己の感受性の内に培養すること。そして、作曲の多様な方法によって、その相異を明瞭[あきらか]に際立たせることが最初の段階[ステップ]になるのである。矛盾を解消するのではなしに、その対立を自己の内部に激化することが、作品のたえず進行しつつある状態──それはきわめて不安定な歩調[ステップ]であるが──を保ち、この実践が伝統の暮守に堕すことから私を遠去けるだろう。
 私は沈黙と測[はか]りあえるほどに強い、一つの音に至りたい。私の小さな個性などが気にならないような──。

武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』「一つの音」p.197、[ ]内はルビ

この本の表題にもなっている最後の一文は考えさせられる。
そして、それはいつまでも響いて止まない。

2020.03.01

籠っていても

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もうすぐ結婚記念日。

ということで、今日は家族3人で近所にあるちょっとお洒落なカフェレストランへ。
昼食を食べに行く。

最初は気が乗らなかった息子も前菜を食すなり、食べた事のないその味にスイッチ・オン。
メイン料理が運ばれてくると、ガンガン食べて気分は上向き。
野菜が多かったのも良かったのかも。

でもデザートに頼んだほうじ茶プリンは大人の味で途中で断念。
まぁ、そういう事もあるでしょう。

来週から息子が通っている小学校は春休みまで臨時休校。
ついでにスイミングスクールも。

外出はなるべく控えてと言われてもね、家に籠ってばかりだと別の病気になりそうだし。
僕とかみさんが休みの日は、場所を選んで出かけるなり、気分転換をしないと。

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さてと、帰りにスーパーに立ち寄って小振りな真鯛を購入する。
魚をさばいてみたいという息子から要望があって。
夕方は僕が手本を見せながら一緒にさばく予定。

でもこの真鯛、小振りといえ魚焼きグリルに入るのか、、、。