朝、寝坊気味に起きて電車情報を見てみたら、、、。
あちゃ~、新幹線始発から止まってるじゃん。でも、今日はどうしても名古屋と岐阜に行きたい。
運転が再開したのを確認してとりあえず東京駅へ。
50分遅れですかぁ。でも、気長に待ちましょう。今回は搬入や展示の打ち合わせではないし。
予定は狂うけれど、この位の遅れなら何とかなりそう。乗ったら早速ビールで気分転換でもしよう。
で、名古屋に着いたら何とも微妙な時間。走れば間に合うか。
という事でお昼の13時クローズ間際にケンジタキギャラリーに駆け込む。
お次は名古屋市美術館へ。
企画展や常設展をゆっくり見たかったけど、14時からは『水性であること/伊藤正人』展の作家と学芸員によるトークショー。
企画・常設展をゆっくり見れなかったのは残念だったけれど、『水性であること/伊藤正人』展に時間を割いたのは正解だった。
だって素晴らしい展示だったから。
賛否両論はあるだろうけれど、これは見なくちゃいけない展示だと思う。
僕がそこで何を感じたのかについては長くなりそうなので後日あらためて。
トークショーの後もできるだけ伊藤君の展示室にいたかったけれど、次に行かなくては。
後ろ髪を引かれながらも岐阜へ。
GALLERY CAPTIONでやっている『Receptor/丹羽康博』展を見る。
丹羽君の展示についても後日ちゃんと書きたいと思うけれど、伊藤君と丹羽君の展示で共通する事があったので、まずはそれを書いてからにしようと思う。
それは「戸惑い」。
戸惑いを与える展示ってどうなの、と思うかもしれないけれど、本当はどんな展示にも戸惑いはあると僕は思う。でも、ほとんどの場合、とりあえず分かったような気持ちにさせたり、戸惑うとしてもそれと向き合わせないようになっていたり。
両展示ともまずは戸惑いの中で僕を一度立ち止まらせた。むしろ積極的に。でも、それは勝手に考えてくださいといったような突き放した感じではなくて、戸惑う僕の脇にそっと寄り添っているような感じ。
両展示を見て、その質感に異なるところはあったけれど、どこか通奏低音のように共通する響きがそこにはあった。
つづく。