月別アーカイブ: 2006年10月

2006.10.30

筑紫哲也と井上陽水

筑紫哲也のニュース23に井上陽水がゲスト出演した時の録画ビデオを観る。
当時は『最後のニュース』をリリースした頃で、同曲に井上陽水が映像をつけたものを流したり、『ワカンナイ』という曲を弾き語りするんだけど、やっぱり何度観ても筑紫哲也と井上陽水のやり取りが面白い。

番組はCMを挟みながら筑紫哲也が曲の感想を言ったり、井上陽水に質問したりするんだけど、井上陽水の返答がね、時にシニカルで「あ~ら、そう」なんてまったく興味がないようでもあり、「勝手に言ってくださいな」ってな感じに思っているようにも見える。
何だかそんなやり取りを見ていると、ジャーナリストや評論家が時に的外れな事を言っている姿を思い出しちゃう。そんな事を言われてもね、アーティストは「だから何?」って思っちゃうもんね。

で、筑紫哲也が『最後のニュース』について、
「この曲はラブソングだと思うんだけど、陽水さんはどうなの?」
と質問すると、すかさず井上陽水が、
「僕ら曲をつくる側にとってはね、どうとでもとって頂いて、、、とにかく買って頂ければいいわけですから。」
なんて応えるわけです。井上陽水に座布団一枚!

2006.10.29

黄泉の犬

20061029

藤原新也『黄泉の犬』を読む。
以前、友人に藤原新也の『渋谷』を貸したところ「ちょっと胡散臭くて私ダメだわ」なんて言っていたけれど、その気持ちは分からなくもない。
藤原新也の本を読んでいると僕もそう思うときがあるし、嫌になって読むのをやめてしまう事もある。けれどその反面、気づかされたり納得するところも多い。
まだ半分しか読んでいないけれど、『黄泉の犬』も友人が感じたように胡散臭く感じる人がいるかもしれない。というか、こういう書物にはそのような感情がつきものなのかもしれない。
けれど、『黄泉の犬』はそのような感情を突き放すような、そんな胡散臭さが何であるのか僕らに突きつけてくるようなところがあって「君はどう思う?」なんて問われているようでもある。
藤原新也の本に限らないけれど「読んでいて自分が揺らいでしまうような本はいいな」なんて『黄泉の犬』を読みながら思う訳です。

2006.10.28

眠らない女

Gallery Stump Kamakuraで開催中の『桑久保徹/眠らない女』展に行く。
初日でオープニングレセプションがあったけれど、夜はちょいと所用があったので早めに行って絵を鑑賞する。
彼の絵を見た事がある人はわかると思うけれど、今回もコテコテの油絵具で描かれている。でも今回は全部ポートレイトで、それも手伝ってかこれまでの印象とは少し違う。何だかそのコテコテの油絵具があまり気にならないし。新鮮な風が彼の中で吹いたのかな、なんて思ったりする。
そんでもって帰りの出来事。
帰りに玄関で皆さんに見送ってもらう中、ある女性が「さようなら」って挨拶してくれる。 最近は人と別れる時「じゃ、また」なんていうのが多いけれど、よく考えれてみば別れるのにまた会う約束しているみたいで、ちょっとしみったれてるな、なんて思う。
いいですね「さようなら」って言葉。

2006.10.23

夜中に目が覚めて寿がきやラーメンを思い出す

夜中に何となく目が覚めてぼおうとしていると、急に寿がきやラーメンの事を思い出す。
幼い頃は近所のイトーヨーカドーでよく食べたな。あの味、忘れられません。それにあのスプーン。フォークと合体しちゃってるんだもん。いいですね。
最近の高級志向ラーメンもいいけれど、やっぱり僕はあの価格、あの味、あのスプーンで寿がきやです。最近のラーメンは高すぎる。僕はもっと気軽に食べたい派ですから。
大人になってもやっぱり幼い頃に好きなった味は忘れられなくて、神奈川で一人暮らしをしている時も近所のスーパーでよく食べた。それにコンビニで見つけたスガキヤカップラーメン。久しぶりに食べ物で興奮したのを思い出します。
あぁ~、食べたいな。でも中年になりかけの僕はメタボリックシンドロームも気をつけなくちゃいけないし、食べたい気持ちだけで押さえなくちゃいかん。