月別アーカイブ: 2007年4月

2007.04.20

揺れる街

今日は天気もいいし、カメラ片手にぶらぶらと「夢の島熱帯植物館」に行って、帰りは「ららぽーと豊洲」に寄り道する。

しかし、こんな大型店ができる前のまだ更地に近い時にこのあたりをぶらぶらしたことがあるけれど、久しぶりにいってみると凄い事になっていますね、ここ。開発ラッシュってこういうのいうのかしら、なんて思う。
それに、はじめて行った事もあって目的の店舗まで行くのに迷うし、こういう所に慣れていない僕には買い物するのも大変です。通りすがりのお婆ちゃんはカートを押しながらお疲れ気味だったし、、、。

そんでもって、充分満足したし最寄りのバス停まで歩いていると、何だか変な感じがする。特に交差点で信号待ちをしている時に、、、。撮影で疲れ、ららぽーとでも疲れて、体がフラフラしているのかと思ったけれど、どうやらそれだけではないようで、どうも地面が揺れている感じがする。
バスやトラックが僕の前を通り過ぎると、何だかトランポリンに乗っているような感じがするし、、、。

僕が今住んでいる向島界隈も住宅がひしめいているから、それはそれで火事になった時は怖いけれど、こちらはこちらでそんな揺れを感じちゃうとね、大丈夫なのかしら、なんて思う。
まぁ、僕が感じた揺れなんて大した事じゃなんだろうけど、、、。

2007.04.19

高田渡読本

20070419

『高田渡読本』を読む。
ちょっとこの表紙は怖い感じがするけれど、内容はいたってほのぼのしています。
いろいろな人たちがコメントを寄せているけれど、そんなコメントもやっぱり高田渡の人柄があってのことなんだろうな、なんて感じです。

僕は高田渡マニアではないから、手に入れていないアイテムがあってもあまり興味がないけれど、『高田渡読本』を読み進めていくと、あぁ、こんな本あったのね、なんて読んでみたくなるものです。

でも、やっぱり僕は彼の音源に触れているのが一番いいし、彼の曲はしばらくするとまた聞きたくなるんですね。そして、彼が音楽や詩を通して見ていただろう事を思うと、何とも情けない、その日暮らしの自分に気づいたりするわけです。

2007.04.17

佃煮屋のオウム

自宅の近所には魚専門の佃煮屋があって、そこには看板娘ならぬ看板オウムがいる。
お店が開店しているときは、陳列されている佃煮のそばでお客を招いているんだけど、そのオウムが芸達者でね、僕はまんまとだまされました。

ある日の夕方、佃煮屋のある商店街を歩いていると、子供の声ではしゃぐ声がする。
今日は商店街のお祭りだし子供も楽しんでいるのかな、なんて聞いていると、「あ~あ~」と同じ言葉ばかり繰り返していて何だか変だ。
そこで耳をそばだたせてその声の主を探ってみると、なんとその声は佃煮屋で飼っているオウムの鳴き声。さすがオウムだけあって、まことに物まねがうまいものです。

せっかくなので、そのオウムをしばらく観察してみると、何だかお祭りの音楽に合わせて鳴いているようでもあり、もうすぐ店じまいだよ~ってお客を呼んでいる様でもある。
いや~、面白い街ですね、ここは。

2007.04.16

スーザン・ソンタグから始まる

20070416

『スーザン・ソンタグから始まる/ラディカルな意思の彼方へ』を読む。

この本を読んでいるとソンタグの著作物をあらためて読み返したくなりますね。
本当はこういう導入本のようなものを読むよりもソンタグの本を直接読むのがいいんだろうけど、でも、どれから読んでいいのか迷っている人がいたら、この本をさっと読んでみるといいのかもしれないと思う。

ロラン・バルトの『明るい部屋』そうだけれど、ソンタグの『写真論』も僕にとっては身近に置いておきたい書物だし、幾度となく読み返したくなる本です。

2007.04.15

見続ける涯に火が・・・

20070415

中平卓馬著『見続ける涯に火が・・・ 批評集成1965-1977』を買う。
いや~、こうやってまとめて読む事ができるのは僕にとってはうれしいことです。

というのも、僕がまだ大学生の頃、中古本で『なぜ、植物図鑑か』を運良く手に入れて以来、彼の著作や写真集を買ったり展覧会に行ったりね、ずっと興味津々で僕にとっては今でも現役のアイドルなんですからね。

次に期待するのは写真集と共に、昏倒以後に書き続けられている日記のようなその文章をまとめたものかな。『新たなる凝視』や『ADIEU A X』の巻末に書かれているあの短い文章。
1965年から1977年までの文章だけじゃ、現在の中平卓馬を捉えることはできないだろうからね。

さてと、今、清澄白河にあるSHUGOARTSで個展もやっているから、こちらも行かねばいけません。