月別アーカイブ: 2007年4月

2007.04.14

マルレーネ・デュマス

東京都現代美術館で開催している『ブロークン・ホワイト/マルレーネ・デュマス』展のアーティスト・トークを聞きに行く。

アーティスト・トークを聞きに行くのは随分と久しぶりだけど、マルレーネ・デュマスのトークはその人となりがよく出ていましたね。
だって、トークのはじめにはお世話になった方々にお礼の言葉を述べたり、「私の理論を聞きたいと思った方は展覧会のカタログを読んでください」とか言ったりね。
まぁ、トークの中に自分の作品や絵画についてどう考えているのかコメントをしていたけれど、でも、それはけっしてお固い感じじゃないし、むしろ「私はこう考えているけれどあなたはどうかしら?」なんて感じなわけです。

で、トーク自体はさまざまなデュマスのドキュメント映像を流しながら、その時々にデュマスがコメントを言う形式だったけれど、それがまた変な感じでね。
映像の中で僕たちに語りかけてくるデュマスがいると思えば、その側でマイクを持って映像を補足しながら語るデュマスもいる。何だか映像の中のデュマスと壇上にいるデュマスがゆるやかに混じっていくというかね、記録されたデュマスと今ここにいるデュマスが重なり合っていく感じがするわけです。

そんでもって、展覧会見てみると不思議とトークで感じた、その重なっていく感じがあるわけです。
特に第1室の大きな回廊のように仕立てられた空間では顕著でね、回廊のような空間には視線を遮る壁がないから、おのずと遠くから作品を眺めようとすると、その視界には多くの観客が入ってしまうわけです。そして、だんだんと観客たちがデュマスの作品と重なっていくわけです。

僕の経験では、絵画作品を見る時には他の観客が邪魔に感じたり、いないものとして見て見ぬ振りをしているんだけど、その回廊のような展示室では、むしろ必要な要素のような気さえしてくるですね。
普通であれば、他の観客には気にも留めないのに、デュマスの作品を通して見ていると、名前も知らないただの観客が作品でもないのにだんだんと見るべき対象になってきて、観客A、観客B、観客C、、、なんてなってくるわけです。
それは、観客という無個性なものとしてしか捉えていなかったものが、だんだんとそれぞれの顔が見えてくるような感じでね。そして、それは決して邪魔なものではなく、デュマスの作品と同調してひとつの状況を創り出しているようにも見えてくるんですね。

さてと、これはトークでデュマスが言っていた事だけれど(記憶を頼りにしているから正確ではないと思うけれど、、、)観客との質疑応答で技法の事について聞かれてね、デュマスは「私は別に特別な技法を使っているわけではありません。もちろん水墨画との関連を語る事もできるとは思うけれど、むしろインクを使うのは自分との相性だったりするわけです。」なんて言うわけです。

それはきっと技法だけでなく他のことを含めて特別な事はしていない、ということなんだろうけれど、確かにデュマスの作品を見るとドローイングやキャンバスに油彩で描かれた作品も特別な技法を使っているとは感じられないし、ポートレイトという形式だって西洋では伝統的なものでもある。

で、一緒にトークを聞きに行ったうちのかみさんが言うわけです。「志村けんが何かの番組で「お笑いで新奇な事をするのはそれほど難しいことではなくて、むしろベタな事をするほうが難しくて技術がいる事。」と言っていたよ」って。
デュマスも新奇な技法や題材ではなく、お笑いで言う「ベタ」なことの中から作品をつくっているような、何だか妙なつながりを感じたりするわけです。

2007.04.13

ご無沙汰です

いや~、このサイトを調整しようとソースをいじっていたら、意外と時間がかかってしまったなぁ、、、。おかげでこのDailyに書き込むのもご無沙汰になってしまったし、、、。
ほとんど見栄えは変わっていないんだけど、更新がこれで少しは楽になればいいんだけど。

ということで、今日からまた書き込み再開です。