月別アーカイブ: 2006年12月

2006.12.19

小石川植物園

20061219

文京区白山にある小石川植物園に行く。
今日の目的は、毎週決まった日時だけ公開している温室の見学と撮影。前回行った時は見逃してしまったからね、今回は見逃すまいと行ってみた次第。

しかし、ここの温室は本当に研究対象といった雰囲気ですね。黙々と鉛筆片手にスケッチしている人がいたり、植物を接写している人がいたり、、、。植物たちもそんな人たちを待ち構えるかのように整然と並んでいて、なんだか話す声も小さくなってしまう雰囲気です。

そんでもって、これは家に帰ってきてから感じた事だけど、何だか今日の撮影は変な感じだった。何だろうあの感触は、、、。
世界から離れちゃっている感じ、というと大げさだけど、何か目的があって撮影しているという感じではなくて、夢中になっていることも忘れて夢中になる、ただそのことだけに戯れている、といった感じ。
だからといって、周りの出来事がまったく見えないというわけではなくて、例えば、スケッチしている鉛筆の音や人の気配も、けっして縮まることのない距離を挟んで感じている、といった感じ。

今の僕にはその感触を言葉にするのが難しいけれど、それを幸せだと感じる事もあれば、どこか寂しさを感じて悲しくなったり、大切にしたい感触だな、なんて思ったりするわけです。

2006.12.18

魚肉ソーセージ復活

いつものようにネットでニュースを見ていたら「魚肉ソーセージが健用食品として見直されつつある」だって。
魚肉ソーセージなんて小さい頃から食べてたし、むしろ、僕にとってソーセージっていえば魚肉なんだけど。サラダにしたりね。炒め物にも合うし、オールマイティーでGOODだね。

そういえば、知人の飼っているワンちゃんは魚肉ソーセージが嫌いだって言ってたな。まぁ、犬だけに「魚より肉だ!」っていうことなんだろうけど、、、。
でも、中年になりつつある僕には、魚肉ソーセージは体にいい食材だね。
好物でよかったよ。ホント、、、。これからいっぱい食べなくちゃね。でも、食べ過ぎは体にはよくないんだろうなぁ。
おそまつでした。

2006.12.17

されど変わるのはいつも他人

こんなこと僕が考えても仕方がないことなんだけど、有名になるってどういうことなんだろう、なんて考えてみる。

例えば、質のよい作品がよい評価を受けて有名になることは当然として、よく分からないけれど作品は大して変わっちゃいないのに周りの評価が変わって有名になる、なんて事もあるんじゃないかと思う。
まぁ、質がよいってどういう事だ、っていうこともあるんだけど、、、。

そんでもって、仮に僕が有名になるとすればあきらかに後者の方だと思う。
だって、ここまで大して作品も変化してないし、今後もそんな感じにゆっくりとやっていくんだろうな、なんて思うからね。
でも、仮に僕のような作品が有名になることがあるとすれば、きっとそこには落とし穴があるかもしれない、なんて思う。
つまり、それは有名になってしまったことで自らの作品がとても良くなったと感じてしまうという勘違いなんだけど。

まぁ、僕の作品が有名になるなんてことはないだろうし、そんな事考えている暇があったら作品をつくった方がいいよ、なんて自分でツッコミを入れたくなるけれど、でも、有名になることに限らず、生活の面でもそういうことがあったりするからね。
前と同じ事をやっているのに、何だか急に周りの目が冷たくなったり、、、。もしかしたら何か悪い事でもしちゃったかな、なんて考えちゃうよ。

マルセル・デュシャンの墓碑銘は「されど、死ぬのはいつも他人」のようだけれど、それをもじって言えば「されど、変わるのはいつも他人」なんて言えなくもないんじゃない、なんて思う今日この頃です。