カテゴリー別アーカイブ: よもやま話

2020.03.08

沈黙と測りあえるほどに

武満徹著『音、沈黙と測りあえるほどに』を読む。

吃音に関しての記述は興味深い。
もちろん、その他にもいろいろ。
でも、その中で今、繰り返し読んでいるのは「一つの音」と題された文章、そしてこの部分。

以下、長いですが引用します。

では邦楽(の音)は、今日の私(たち)の音楽生活とは無縁のものとして捨去るべきだろうか?
 だが、伝統的な邦楽は、この地上に存在する他の多くの音楽と同様に、私を捉えて離さない。
 作曲という音楽的表現行為が、人工的な技法の問題としてしか理解されず、また形式上の斬新さがただちに新しい価値であるように錯覚されている「個性」にたいする誤った考えのまえに、音はついに自然の音のように無に等しい状態にたち還って行くという認識は、批評を超えた恐るべき問いとして活きているように思う。私はこの認識の根かたにひらけている異質の音の領土を、西欧的訓練を経た一個の作曲家として歩きたいと思う。西洋と日本の、異なる二つの根源的な音響現象の秩序を生きた、異なった二つの音楽を自己の感受性の内に培養すること。そして、作曲の多様な方法によって、その相異を明瞭[あきらか]に際立たせることが最初の段階[ステップ]になるのである。矛盾を解消するのではなしに、その対立を自己の内部に激化することが、作品のたえず進行しつつある状態──それはきわめて不安定な歩調[ステップ]であるが──を保ち、この実践が伝統の暮守に堕すことから私を遠去けるだろう。
 私は沈黙と測[はか]りあえるほどに強い、一つの音に至りたい。私の小さな個性などが気にならないような──。

武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』「一つの音」p.197、[ ]内はルビ

この本の表題にもなっている最後の一文は考えさせられる。
そして、それはいつまでも響いて止まない。

2020.03.01

籠っていても

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もうすぐ結婚記念日。

ということで、今日は家族3人で近所にあるちょっとお洒落なカフェレストランへ。
昼食を食べに行く。

最初は気が乗らなかった息子も前菜を食すなり、食べた事のないその味にスイッチ・オン。
メイン料理が運ばれてくると、ガンガン食べて気分は上向き。
野菜が多かったのも良かったのかも。

でもデザートに頼んだほうじ茶プリンは大人の味で途中で断念。
まぁ、そういう事もあるでしょう。

来週から息子が通っている小学校は春休みまで臨時休校。
ついでにスイミングスクールも。

外出はなるべく控えてと言われてもね、家に籠ってばかりだと別の病気になりそうだし。
僕とかみさんが休みの日は、場所を選んで出かけるなり、気分転換をしないと。

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さてと、帰りにスーパーに立ち寄って小振りな真鯛を購入する。
魚をさばいてみたいという息子から要望があって。
夕方は僕が手本を見せながら一緒にさばく予定。

でもこの真鯛、小振りといえ魚焼きグリルに入るのか、、、。

2020.02.09

庭とエスキース

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奥山淳志著『庭とエスキース』を読む、そして、眺める。

この本、文章と写真の結びつきが美しい。
各章を読みながら、数カ所に挟み込まれた写真たちを眺める。
読んでは眺め、また読む、そして眺めるの繰り返し。
写真を眺める事で、立ち止まったり戻ったり。

写真集『弁造 Benzo』やエスキース展があるようだけれど、写真集はすでに売り切れ。
エスキース展は都心で3月までやっているようだけれど、行くかどうか悩む。

いや、ここは思いとどまろう。
なぜなら、僕はこの本の文章と写真の結びつきに魅せられたのだから。

2020.01.19

ボウリングにバッティング

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今日は家族3人で近所のスポーツセンターへ。
ボウリングとバッティングをする。

まずはボウリング。

何十年ぶりのかみさんと僕。
そして息子は初体験。
なので、点数は気にせず投げまくりのガーターしまくり。

お次ぎはバッティングセンターへ。

これがやめられない、、、。
当たらないと意地になるし、当たると爽快。
かみさんは一打席だけだったけれど、息子と僕で何打席立っただろう。

ボウリングはしばらくいいとして、バッティングセンターは近いうちにまた来ましょう。

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で、自宅に帰ってきて早々、体のあちこちが痛い、、、。
こりゃボウリングとバッティングでやられたな。
明日の朝は筋肉痛で目覚めそうだ。

2019.12.08

だけではない

12月7日(土)

今日はGALLERY CAPTIONで催される「藤本由紀夫アーティスト・トーク」に参加するために岐阜へ。

で、ちょいと早めに岐阜に着いたので、撮影を兼ねて長良川あたりを散策。
いつもとは違うルート、路地や山道を攻めて。

おっと、ここは入っちゃ行けなかったのかな。
登ったところで野太い犬の声が、、、。
静かに帰らせて頂きます。

そんでもって、藤本さんのアーティスト・トーク。

デュシャンの話からキルヒャーの飛躍など。
最後は大型Bookの話で。

飽きさせないトークを堪能。

終了後は食事会を兼ねたアフタートークを。
こちらも堪能。

でも、僕の声は不協和音になりそうなので、控えめに。いや、むしろScience。

これじゃいけないのかもしれませんね。このご時世。
もっと、ぐいぐいと、ですね。

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・・・・・

12月8日(日)

豊田市美術館でやっている「視覚のカイソウ/岡﨑乾二郎」展を見る。

ユーモアをつねに含む実践。
と、僕は理解して、これまでその活動に興味があったけれど。

何だろう、この感じ。
これでいいのかな、、、。

作品から投げかけられた球を僕が打ち返して、次の回にまた。
そのやり取りは出来た。
でも、場外ホームランは打ち返せなかったような。
僕に打ち返す能力がないのは認めつつも。

そこで藤本さんのトークの冒頭で紹介されたデュシャンの言葉を思い出す。

アートは作り手・作品だけでは成り立たない。鑑賞者の視点・解釈が必要だ(正確ではありません、、、)

僕は岡崎展で打席に立ちながらも、打ち返す方向・範囲ををあらかじめ想定されていた感じがする。
そして、打席を離れた僕は、その球場で行なわれているゲームを、どちらのチームを応援するわけでもなく、ただ見るだけ。

・・・・・

帰りの新幹線で見た富士山は、なぜかしら投手でもあり打者でもあり、応援席に座るいちファンでもあるような、そんな存在に見えた。

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