2007.02.03

Byの後に長く

展覧会も終わりほっとひと休みといきたいところだけどそうもいきませんね。いろいろと思うところもあるし、、、。
でも、時間を割いて見に来て頂いた方々には感謝です。

さてと、展覧会を振り返って思う事なんぞ、、、というのはとりあえず置いとくとして、その代わりと言ってはなんだけど、会期中に気になったエピソードがあったのでそれを書こうと思う。

これから書く事はちょっと長くなるので、お付き合い頂ける方、興味がある方はどうぞ。
まぁ、このDailyは自分が忘れないためのメモでもあるのでね。物忘れが多くなった頭が忘れぬうちに残しておかなくてはいけません。

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さて、展覧会の最終日、閉廊の時間が押し迫っている中、ひとり老人が訪ねてきた。 その老人、体の具合が思わしくないのか、片足を不自由そうに杖をつきながら歩き、挨拶する言葉もとてもゆっくりだ。

老人は展示をひと通り見終え僕に話しかける。最初は社交辞令のように。けれども、話は次第に展示している作品やこれまでの活動についていろいろと深まるばかり。
20分位話しただろうか、閉廊の時間も過ぎた頃、話の途中ではあったものの僕は失礼して搬出のため近所のコインパーキングまで車を取りに行く。

しばらくして車を画廊の前に停めると、すでにその老人は画廊を後にし街の暗がりの中へ消えつつあるところだった。僕はその老人を追いかけ、話が途中で終わってしまった事を謝り、そして見送りの挨拶をする。

老人を見送った後、僕は画廊に戻る。そして、僕が車を取りに行っている間老人が何を話していたのか、老人の話し相手をしてくれていた友人に聞く。その話には老人の率直な気持ちや感謝の言葉も含まれていた。そして、老人は次のような言葉も残していった。

「もう僕は体の具合が良くないから、東京以外でやっている展覧会には行く事ができません。でも、彼の展覧会が東京である時は見に行きたいので連絡をください。」

「東京で彼の展示が見られるまでは、何とか体を保たせます。」

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さて、このようなエピソードに「情け」を感じる人もいると思う。そして、その老人の言葉を疑うこともできる。

けれども、僕は以前から現代美術と言われているところに関わっていく中で、見ないふりをしながらないがしろにしていた、あるいは「情け」として切り捨てていた部分を、その老人の言葉によってぐっとつかまれたような気がしてならない。

世の中には、作品を見てうんちくを言う人もいれば、こりかたまった頭で物言う人もいる。
もちろん、それもひとつの意見であるから僕なりにありがたく頂戴するけれど、でも、その言葉が僕に響くかと言われれば、老人の言葉のように響くことはない、と思う。

老人は僕の作品を見、感想を残した。ただそれだけである。しかしながら、その言葉は僕に響き、忘れていたことを呼び覚ますきっかけを与えた。そして、僕の作品をまた見たいというただの感想が、これからも作家としてやっていくだろう僕の基本姿勢を見つめ直すきっかけを与える言葉でさえあった。

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街暗がりに消えて行く老人に僕は「お気をつけて」とお見送りの挨拶をすると、老人は「老人にそのような挨拶は無縁です」と言う。そして「また会いましょう」と言い残し、街の中へ消えて行った。