2013.01.20

いつかまた振り返るために

ここに書く事ではないと思うけれど、、、。
いつかまた振り返るために、大事な事を、恥ずかしながら。

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昨年の暮れ、Sさんから『MOTアニュアル』での展示に関連する事で連絡をもらった。
それは1999年、山根勇さんが神宮前にあったGallery ART SPACEで開催した展覧会の事で、山根さんはギャラリー(事務所も含む)の備品を全て撤去して空っぽにした。僕は会期中に行われた対談の相手として参加したんだけど、その時の様子が同ギャラリーが発行していた「Infans No.4」に残っていて、あらためて読んでみると展覧会の性格も手伝ってか、結構美術の制度について話している。

この展覧会自体は決して美術の外に出るようなものではなかったし、むしろ美術の中でモヤモヤしている事や普段は隠されている事をはっきり見せる展覧会だったと思う。はたきで余計なホコリを叩いた後のような、何もないのにギャラリーという営みだけで満ちた空間がそこに現れて、それが展覧会としても成立していた。

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2009年、僕は岐阜市内で展開された『よりみち・プロジェクト – いつものドアをあける』に参加した。
僕はCAFE COCON(喫茶店)と岐阜市文化センターのウィンドウギャラーおよびロビーを自分で展示、GALLERY CAPTIONではpand(雑貨店)プロデュースで僕の作品を展示してもらった。

こちらも当時の記録が冊子になって残っているけれど、その巻末に秋庭史典さんによるテキストが寄せられている。そのテキストには僕が「よりみち・プロジェクト」でやろう(起こそう)としていた事の核心に鋭い観察眼で迫りながら、だからこそけっして忘れてはいけない事が書かれている。

例えば「金町。見られるのではなく、ただそこにあるだけの。」の章では、文化センターのロビーでの展示について、休憩をしている人たちの中で秋庭さんだけがひとり僕の作品(写真)を探し理解しようとしてる。でも、それはおかしな事だと感じ問う。「わたしは何をしようとしているのだろう?」

僕はチラシや備品と同じように写真を掲示板に張ったり受付に飾ったりした。そして売店の商品ケースに置いた写真の扱いについては売り子のおばちゃんに任せた。

秋庭さんはそんな状況や作品のあり方について「ただみんな、黙々とそれぞれの営みを続けている。」「老若男女の誰もがロビーで憩うことができるのと同じ意味・同じ資格で、誰にも邪魔されずに、また誰の邪魔をすることもなく、ロビーに、受付に、路上のギャラリーにいる。」そして章の終わりに「わたしだけが異物のように、「ただ互いにそこに居る・それでよい」というこの光景を、強い印象とともに、眺めていた。」と記す。

僕は秋庭さんのテキストを読み返す事の中で、あの光景の中で感じた感覚を呼び覚ます。

*以上、カギ括弧内の斜体は冊子「よりみち・プロジェクト – いつものドアをあける」より。

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自分で展示したとはいえ、文化センターのロビーでは稀な光景に立ち会えたと思う。ロビーで憩う人たちと同じように僕もひとりの人としてそこで憩うことが、写真も作品としてではなく、ただそこに寄り添うものとしてあることを許されていたというか。そこには心地よい関心と無関心があったと思う。

『よりみち・プロジェクト』の記録は冊子やこのサイト内のExhibitionsGALLERY CAPTIONのHPArtholic Freepaperのinterviewで見る事ができます。