月別アーカイブ: 2007年3月

2007.03.17

イケア船橋

イケア船橋まで新居に必要な家具を買いに行く。
南船橋駅を降りてイケアの外観を見ているときは「話に聞いていたより大きくないな」なんて思ったけれど、いざ店内を歩くと意外と店内が広いので驚く。

そんでもって、必要な家具を買っていざ商品を発送してもうらおうと思ったら、何とも送料がお高い事、、、。

もし、イケアに行く人がいましたら車で行く事をお勧めします。車で行けば送料はかかりませんからね。
でも、車に積めないものもあるでしょうから、その時はまとめ買いをすれば送料の単価が安くなるのでいいと思います。

2007.03.16

bankにNADiff、トキに資生堂、最後にASK

今日は午後からギャラリー巡りをする。
まずは田園調布にあるart&river bankで開催中の『小鳥の低空飛行/早川陽子』展へ。

大学時代からの知人でもある彼女の作品は、機会がある度に見てきたけれど、今回の作品はこれまでの作品とは少し印象が異なる。
これまでの作品はどちらかと言うと触覚的というか、手触りの感覚を大事にしていたように思うけれど、今回の作品はより視覚的というか現象的なところを大事にしているように思う。そして、きっと彼女の中で何か変化があったんだろうな、なんてことも思う。

さて、お次ぎは表参道にあるNADiffへ。『Portrait Session』なる展示を見る。
でもね、僕はガラスケースの中に展示されていた小林正人の作品に目が捕われちゃってね。面白いですよ、この作品。だって他の作品がとてもオーソドックスに見えるんだもん。

で、その作品はと言えば、支持体はアルミホイルらしきもので銀色に光っている。そして、いつものように支持体はクシャクシャ。でも、そこには菱形に象られた跡があってね、その中にマゼンダ色とホワイトで描かれたヌードらしきものが浮かび上がっているわけです。
いや~、NADiffを後にしながら入り口のガラス越しに見てもね、やっぱり異質な感じがするんだよね。何でしょ、これって。

さてと、お次ぎはNADiffから数分のところにあるトキアートスペースへ。
ここでは『小松崎広子』展が開催していて、昨年、銀座のギャラリーで見た時に気になったので見に行った次第。

ギャラリーの奥にある大きい絵画作品は、銀座のギャラリーで見た時とさほど変わらないけれど、それより小さな作品は少し趣きが異なる。どこか完成された頑固なものというよりは、少し崩れかかっているとでもいうような、危うく漂っている感じですね、これ。

さてさて、お次ぎは電車に乗って銀座へ。資生堂ギャラリーで開催中の『色彩に入る/内海聖史』展を見る。
ギャラリー空間を捉える事に関してはこなれていると思ったけれど、作品についてはあまりピンとこない。僕の目が淀んでいるのかな。

さてと、最後は京橋にあるart space kimura ASK?で開催中の『αMプロジェクト2006 vol.8 生命の部屋Vlll・金田実生』展に行く。

僕の記憶が正しければ、以前、銀座のギャラリーで彼女の絵画作品を見た時にポートレイトが描かれた作品を展示していたと思うけれど、今回は犬の横顔が描かれた絵があってね、あの時に感じた事を思い出す。
それにギャラリーに入って左側に展示されている、紙にクレヨンで描いてある絵をよく見ると、描いた線をかなりハードに消していて、ところどころ紙が擦れて破けていたりするわけです。

う~ん、犬の絵もありハードな印象もあり、彼女の作品を少し捉え直す機会を与えられたようでもあります。

2007.03.15

気配を感じる

さてと、下町っていうところは路地が入り組んでいるものだからね、ちょっと買い物に行くには自転車がとても重宝するんですね。それに、その扱われ方がね、面白いな、なんて思うわけです。

普通、自転車を乗っていて人が道を塞いでいれば、ベルを「チャリ~ン、チャリ~ン」と鳴らすところを、どうやらこちらの地域の人たちはギリギリまで近づいて急ブレーキ一発「キィ~~~!」と音を鳴らすんですね。
どちらにしても自転車が近づいていますよっていうシグナルではあるけれど、その知らせ方は違うわけで「ふぅ~ん、こんなやり方もあるのね」なんて思うわけです。

で、その気配というかシグナルというか、先日、VOCA展のレセプションに行った時の事、VOCA賞を受賞した方が自身の作品について「能」を経験した事や「足の裏で感じる」ことなど発言されていたわけです。
でもね、普通に生活している中でも、例えば、雨が止んだ事を小鳥のさえずりで知ったりね、ちょっとまわりの状況に敏感になれば気づく事なんていっぱいあるんじゃないの、なんて思うわけです。

まぁ、能から知り得る事もたくさんあるとは思うけれど、でも、特別な事を知るために特別な事をする必要なんてないだろうし、普通の事の中に特別な事を知る機会はいくらでもあるんじゃないの、なんて思うわけです。