このところ実家に帰る度に植物の手入れをしているような気がする。
まぁ、展覧会に使うこということあるし、これも制作の一環と思っているんだけど、理由はともあれ他人から見ればただの庭いじりにしか見えないだろうな、とも思ったりする。
どこまでが制作でどこからが制作以外かなんて考えても仕方がないとは思うけれど、場合によっては「それは制作でも作品でもないよ」なんて、思ってもみないところに線引きをされることもある。
もちろん、そういう他人の線引きを「間違っている」ものとして頑固として認めないか、「そういうのもあるよな」なんて受け入れてみるかは人によってそれぞれだと思うけれど、、、。
で、君にとって植物の手入れをしている事について聞かれたとすれば、「これはいずれ作品の一部になるものなので制作の一環としてやってます」と答えつつも「単純に植物が好きだからです」とも答えるだろうと思うわけです。
もちろん、他の理由もあるけれど、とりあえず相容れないだろう答えや理由を受け入れるものとして僕は植物を捉えているし、そういうものだと思うから植物を扱っているとも言えるわけです。
そして、それは「植物は誰もが好きなように見る事も名指しすることもできるしそれを受け入れもする。でも、ある特定の見方や名指しだけに限定されない」ということでもあるわけです。
これは余談だけれど、今、流行しているお笑いのネタに例えて言うとすれば、植物は僕たちの眼差しを「右から左へ受け流す~」という風になるのでしょう。