2010.12.19

引用・抜粋・空白

その前後を無視したまま引用・抜粋するのはどうかと思うけれど、、、。
興味があるものはメモとしても記しておきたいと思う。

タイトルは引用・抜粋、もうひとつ欲しいけれど、とりあえず空白で。
以下、引用・抜粋。

この作品では、そのタイトルの通り、殆ど何も起こらない。フェラーリは、これを作るとき、旧ユーゴスラヴィアのある浜辺で、ひがな一日マイクを宙に突き出していたのだという。
それを聴いている部屋の雑音と殆ど区別できない形で微かに浜辺の音が流れ込んでくる。ひどく遠くから、微かに子供達の笑い声が聞こえる。鶏の鳴き声。こうして、殆ど全く何も起こらないまま、時間は過ぎて行く。だが、このアルバムも終わりに近くなったころ、その間歇的に聞こえた蝉の声が、次第に音を強めているのに気づく。ゆっくりとヴォリュームを上げ音質を変えながら、次第に前景に出てくる蝉の声に、聴き手は初めてここで、音が操作されていた、という事実に気づくことになる。その瞬間、今まで聴いてきた音の意味が一挙に転換するのだ。が、それもつかの間、蝉の声は次第にフェード・アウトして行き、作品は終わる。
このように”何もない”(リアン)と”殆ど何もない”(ブレスク・リアン)の間の”殆ど”(ブレスク)という、あるかなきかの差異だけでぎりぎり成り立っているこの作品は実に興味深い。

大里俊晴『マイナー音楽のために』より
※ルビは括弧として表記した