2006.12.23

最後は木場で宇和島駅

久しぶりにギャラリーと美術館を巡る。とはいっても、最後には東京都現代美術館でやっている大竹伸郎展が控えているから、そんなに巡れないんだけど、、、。 まずは銀座の資生堂ギャラリーでやっている『素景 -陳若冰 平田五郎 尹熙倉-』展へ。

尹熙倉の作品は久しぶりに見たけれど、やっぱり変な感じがする。今回は四角い物体が膨らみを持ちつつ結構な大きさになっているし、、、。
これは今回見て思ったんだけど、その変な感じは、ひとつにその展示方法にあると思う。
だって、一見、床に置いてあるように見える作品でも、よく見れば壁にへばりついている印象を与えるんだから。でも、その壁に接している面も緩やかなカーブを描いているから、壁からも少し浮いている感じに見えるのね。
例えて言うなら、僕たちが地面から垂直に立つ事で自立しているとすれば、地面ではなく、そこから垂直にそり立つ壁を地面として自立している。そして、その地面である壁からも、寄り添いながら少し浮いている、といった感じ。

もう一つは、実は人がいてざわめいている場所に展示される事を前提にしているんじゃないかなと思わせる事。
その形態のシンプルも手伝って、そこに鎮座しているという印象を与えるけれど、実はとても雑多な関係、例えば人がそこにいることを前提にした空間/状況、を計りながらそこにあるという、その見た目とのギャップ。
そんなことが、たぶん僕に妙な感じを与えているんじゃないかな、と今回の展示を見ていて思う。

さてと、そんな変な感じを抱きながら、次はフタバ画廊へ。知人である早川陽子さんが出品している『2006 FUTABA GALLERY Presents / a lot of … 』展を見る。
ここに限った事ではないけれど、いろんな人がいますね。そして、そのような展示を見ていると思うところや言いたい事も沢山出てくる。でも、そんな愚痴を言ってもね、仕方ありませんから、、、。
さぁ、そんな事はさておいて、次は『大竹伸朗/全景』展へ。

明日が最終日とあって混んでいますね。チケット売り場も並んでいるし、、、。でも、僕はまだよかったみたい。僕が見たあとの会場を振り返ってみれば、そこには人の群れが、、、。

さて、ひと通り見ての感想だけど、この展覧会は作品を見るというより、大竹伸朗を浴びる、といったほうがいいような気がする。だから、シャワー浴びている時に水滴をひとつひとつ見ることなんてないように、これだけの作品が展示してあると見逃してしまった作品、あるいは、見たけれど押し流されてしまった作品も多いような気がする。
しかし『既にそこにあるもの』という著書があるように、全ての作品ではないにしろ、それら作品には何かしらの既視感がつきまとう。そして、それは時に危うさを持って現れたりもする。
でも、建物の屋上に設置された「宇和島駅」のネオンサインには、そのような危うさを通過したその先を垣間見せていたように思う。
もちろん、あのネオンにも危うさや既視感もあるんだけど、言ってみれば「既にそこにあるもの」のその先、あるいは、その向こうを、それが何であるのか未だ示されてはいないけれど、示される方向だけは照らし出しているようにも思えた。

そんでもって、これは余談だけど、会場では小室等がしげしげと作品を見ていてね。年齢も立ち位置も違うあの人はこの作品群をどう思いながら見ているのかな。気になる、、、。
でも、そんな小室等を見ていると、いずれ僕もあの年齢になるんだし、その時に若い人たちがやっていることを敬遠するのではなく、仮に馴染めなかったとしても接していたいな、なんて思う。
そして、もし小室等もそんな風にこの会場に来ていたとすれば、小室等もひとりのアーティストとして若い人の空気を吸いにきたんだろうな、なんて思うわけです。