appelでゲットした三太を読む。
興味のあるポイントが近しいこともあるのかもしれないけれど、読み終わった後いろいろ考える。
まぁ、ここ最近、興味が美術の周辺へ向かっていることもあって、ヘタな美術批評読むよりも、僕には刺激的で好感が持てるんですね。表題に「音と言葉をめぐる批評」とあるように、ちゃんと批評してるし。
appelが閉店した後、どこでゲットできるか探さなぁ~いかん。
2006.10.06
2006.10.06
appelでゲットした三太を読む。
興味のあるポイントが近しいこともあるのかもしれないけれど、読み終わった後いろいろ考える。
まぁ、ここ最近、興味が美術の周辺へ向かっていることもあって、ヘタな美術批評読むよりも、僕には刺激的で好感が持てるんですね。表題に「音と言葉をめぐる批評」とあるように、ちゃんと批評してるし。
appelが閉店した後、どこでゲットできるか探さなぁ~いかん。
2006.10.05
2006.10.04
夕方、経堂にあるappelで開催中の『原美樹子/Humoresqu』展を見に行く。
世界はこんな風にあるのか、でも、僕が知っている世界は、、、まったく違うとも言えない、いや、、、。
時に僕の視線を受け入れ、時に僕の視線を裏切る。両義的ともまた違う、その写真にはいくつもの視界が開けるんですね。
決してマッチョではないし、一見するとささやかな感じなんだけど、そこにはいわゆるマッチョな写真なんて一掃してしまうかのような、そんな力、強度がある。リーフレットにも書いてあるように、それは「眼差しの強度」と言えるものなのかもしれない。そして、そんな写真を見ていると「写真が写真らしくある」とはこういう事かもしれないと思ったりもする。
かつて、森山大道は写真の彼岸まで行こうとして「写真よさようなら」と言ったけれど、原さんの写真を見ていると「写真よこんにちは」と、僕は言いたくなっちゃう。
写真なんで当たり前のように見知っているのに、あらためて「こんにちは」と言いたくなるような、でも「こんにちは」と言ったところで、その写真は挨拶早々、僕の前を通り過ぎて行ってしまうような、そんな新鮮な写真たちです。
2006.10.01
このページも10月に入り随分下に伸びてしまったので、8月分を「過去のDaily」として別ページに移しました。
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