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かわだ新書プロジェクト - 第2期「写真ノ書」

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第2期について

2003年3月にその第一期を終えたかわだ新書プロジェクトは第一期の終了とほぼ同時に第二期に向け新たな歩みを始めました。同年6月、第一期と同様、富士ゼロックス株式会社ART・BY・XEROXの協力を得、「写真ノ書」の制作を開始、また、第一期では非売品であった「かわだ新書」は、株式会社ニューアートディフュージョンの協力により書店で販売することになりました。
2004年、取り扱い店がNADiff一店舗のみとなりましたが、同年3月まで販売を行い、第二期の活動を終了しました。また、第二期の開始にあわせてかわだ新書プロジェクトのホームページもリニューアルされました。

写真ノ書(かわだ新書002)

制作年:2003年
サイズ:h.17.3 × w.10.5 × d.0.8 cm
素材:紙にコピー

制作協力:富士ゼロックス株式会社 ART・BY・XEROX
販売協力:株式会社ニューアートディフュージョン
協力:川口現代美術館 STUDIO + site
スタッフ:河田政樹、mhR、藤田セージ

写真ノ書写真ノ書

掲載写真

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テキスト

写真ノ書(カバー)

ごくありふれた日常のスナップ、家族や友人、恋人との記念写真・・・。今や写真は誰にでも手軽に撮影し加工できる、日々の営みを豊かにしてくれるひとつのメディアである。そして写真は私たちの生活の奥深くまで入り込み、それが写真であることさえ気付かないほどに私たちは写真に対して視力を失い、同時に私たちの視線そのものも写真化しつつある。それゆえに写真をあらためて見つめ直そうとすれば、そこには常に困難がつきまとってしまう。

本書はそのような状況を踏まえつつ、あらためて写真を見るための写真で綴られた「写真」による「書籍」である。そしてまた、本書は写真と言葉を通して「新たに知る」ための「媒介物/メディア」でもある。

某所にて 河田政樹 × 藤田セージ(巻末対談/抜粋)

藤田(以下F):ところで、新しさっていうのは『かわだ新書』の場合考えてないの。こういう書籍や活動は今までになかったとか。

河田(以下K):新しさと言ってもね。僕は新しさというより、むしろ始めからそうであったことを知ることの方がより大切なことと考えているんだ。つまり、今まで何気なく見、知っていたものが別の角度から鋭く射ぬいてくるような体験。誰もやっていなかったことをやることは確かに新しいことなんだろうけど。でも、例えば流行が必ずしも新しいとは言えないじゃない。遅れてやってきた新しさかもしれないし。それはたんにリバイバルにすぎなかったりするでしょ。それに新しいこととものの善し悪しは別のことだしね。

F:それでも君が言うような発見や新たに知るということはあると思うけどね。リバイバルすることで新たに知る契機が生まれるとすれば。

K:それはね。でも、流行に限ればそれは消費を第一目的にした行動でもあるわけでしょ。そう考えるとちょっと違うのね。消費されにくいというかさ。むしろ人目に付きにくい静かな流れっていうのかな。

F:それは場合によっては気づかなくてもよいということでもあるわけだ。

K:気づかなければそのままかもしれないね。だから、そう考えると新しさとも無縁かなとも思えてね。例えば、ある写真が別の見え方をしたとしても、それは僕たちのいる状況や考え方が変わっただけで、その写真自体は何ら変わりがないわけでしょ。

F:確かに新しい写真と言った時、その写真が置かれている文脈に対してのことだろうし、どう語るのかによってその写真の価値も変わってくる。それに何が新しいのかと聞かれたら、その写真から誘われるように出てきた言葉の方だと答えるほうが適当な場合もある。

K:『写真ノ書』に限って言えば、何を新しいと感じるかは人それぞれだし、写真だけを取り上げて話すのもまた違うことなんだ。『写真ノ書』をはじめ『かわだ新書』には、できる限り多くの文脈で語ることが重要な要素としてあるし、そのために僕は写真を撮りながらも多くの言葉で考え語ろうとしているだけでね。だから、もし『かわだ新書』に何か新しさがあるとしても、手に取った人それぞれが決めてくれればいいくらいのことでさ。

F:『かわだ新書』自体、既にあるシステムの利用と展開だったりするわけだから、始めから新しさなんて回避されているとも言えるし、何か目新しいことをしているわけでもない。

K:まぁ『かわだ新書』にとって新しいかどうかはあまり関係のないことかもしれないね。僕自身のことで言えば、今回、写真に関わることで今まで以上に美術に対して距離がとれたと感じているし、しばらくは美術を基盤にした活動はしないかもしれないしね。確かに美術に対して内側から抵抗していくことに可能性はあるかもしれないけれど、それはどこかで美術の外側と言われているところと入れ子になっているだろうし、むしろ僕は内側とか外側とかいう以前に無数にさまざまな場所と接続していると考えているからね。そうであればことさら内側を意識した活動にこだわる必要もないし、さまざまな場所に接続している回路やネットワークを縦横無尽に移動することによって、より見えてくるものがあると考えているんだ。だから、その時々によって姿形を変えながら表現がなされるのは当然なことだし、むしろ自然なことなんじゃないかな。もし、それらを何か統一した物事として語るとすれば、直接それを語ることはできないだろうし、きっとそれは語ることができないこととしてあると思うからさ。だから、これからもあてどなくその周辺を移動しながら、その時々によって異なる表現をしていくことになるだろうし、写真は語ることができないそれを語ることなく提示することができると考えているからね。写真の周辺も含めてそこには考えさせるものがあるんだよね。たとえそれが似て非なるもの、あるいは、限りなく遠くて近い似姿でしかないにしてもね。

(2003年8月 某所にて)

新刊案内

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スタッフ

河田 政樹
著者/作家。1998年、Key galleryにて初個展。以後、展覧会多数。2001年9月の展覧会を最後に美術家第一期終了。2002年「かわだ新書」の刊行とともに作家活動を再開する。
mhR
アーティストや企画者に「発表の機会と知恵を提供する」アートプロジェクト・マネジメント・ユニット。 村田早苗(プロジェクト・マネージャー)を中心に、2001年より活動開始。これまでに関わったのは「かわだ新書プロジェクト」他、「〈栞展〉プロジェクト」(2002年~)「和田みつひと [re-place]」(2003年)など。
藤田 セージ
美術ファン/コラミスト。