2001年、河田政樹、村田早苗、篠原誠司、加藤直子、藤田セージの5名で活動を開始した「かわだ新書プロジェクト第1期」は、2002年、「かわだ新書」第1弾として『アートする美術』(かわだ新書001)を刊行し、日本全国35カ所の美術館、ギャラリー、書店等に立ち読みを基本とした配本を行いました。また、配本の関連企画として愛読者カードを制作し、返信された中から抽選で5名の方に「かわだ新書特製しおり」をプレゼントしました。
2003年1月、それまでの活動を総括した展覧会「河田政樹によるかわだ新書プロジェクトの総括展 Documents-old/new-」(会場 : Gallery ART SPACE、ART SPACE bis、ART SPACE LAVATORY)を開催し、会期中「河田政樹(美術作家・著者)+西村智弘(美術評論家・映像作家)+αによる三者面談」と題したトークショーを催しました。
制作年:2002年
サイズ:h.17.3 × w.10.5 × d.1 cm
素材:紙にコピー
制作協力:富士ゼロックス株式会社 ART・BY・XEROX
助成:芸術文化振興基金
協力:川口現代美術館スタジオ/サイト、株式会社マイブックサービス
株式会社ニューアートディフュージョン、各配本先
制作コンセプト: Masaki Kawada avec mhR
アートとは何か。このような根源的な命題を制作のテーマとしている美術家がいます。河田政樹(1973年生)は、見る側の視線や感性の挿入の場を作品のなかにあらかじめ設け、作品がアートとして成立するか否かを見る側に委ねるかたちで作品を発表しています。様々な技法や素材、メディアを使っていますが、展示会場の片隅にはいつも、簡便な編集による小冊子〈ノート〉と題された自筆テキスト集が置かれていました。それは展示されている作品解説でも鑑賞補助のためでもない、美術家の覚書、まさしく〈ノート〉でした。「書く」ことは「描く」ことと同様の、美術家としての行為、営み、と捉えていると河田は言います。河田政樹の〈作品〉として一貫したフォームである〈ノート〉。これを美術作品として造形すること。これがプロジェクトの始まりでした。
美術作品を解釈することを「作品を〈読む〉」というように、美術作品を〈見る〉ことは〈読む〉ことにつながっています。 美術家自らが自身の制作テーマに則って造形した「かわだ新書」(書名『アートする美術』)は、〈読み物〉であると同時に〈見る〉対象、オブジェでもあります。美術家による〈本〉といえばアーティストブックがありますが、一般に流通している共通した判型、新書判をフォーマットとしたアーティストブック「かわだ新書」は、美術作品と書籍の両方の機能と領域にまたがった存在として、様々な空間へ出掛けていくことが可能となりました。
河田は自身を「美術家である」とは言わず、「美術に関わっている」とあえて表現します。「かわだ新書」は、日本各地のギャラリー、ギャラリーを併設したカフェ、図書室、美術館、学校、アートセンター、ミュージアムショップなど約30カ所に、閲覧自由な、実際に手に取って読んでいただく美術作品(但し「非売品」)として配本・設置され、一定期間が過ぎたら回収される、という方法で一般公開を試みます。配置されるのはたった1冊。配置場所や展示の位置付けは各会場に委ねられ、さまざまです。配本期間中は「新刊案内」と「読者カード」を各ポイントに配付する他、特設ホームページを開設し、読者との交流の場を設けます。美術に関わりながら個々に存在する空間で、様々な人々に触れられたのち「かわだ新書」は美術家のもとに戻り、最終展〈Documents〉の新たな作品空間で1つにつなげられます。
現代を考える上でのひとつのキーワード、高度情報化社会にあって、変革を求められる社会に私たちは生きています。例えば〈新書〉。昨今は空前の〈新書〉創刊ブームを迎え、多種多様な〈新書〉があふれています。現在の「知」を広汎に届けることを目的とし生み出された〈新書〉という書籍の理念よりも、流通を目的とした「消費材」としての書籍の形態であることがこれほどに多用されるのでしょうし、出版産業 のサバイバルのひとつの術(すべ)であると考えられるでしょう。河田の言葉によれば、現代においてアートは「どこまでも横滑り可能な状態」にあります。〈アート〉する営みの中で描き出されたかわだ新書『アートする美術』は、美術家の思索の跡。〈アート〉〈美術〉と呼べるもの、呼ばれるものの〈かたち〉とは?美術家であることの意味とは?その答えは、これまで出会うことのなかった読者(=鑑賞者)に委ねたいと思うのです。「かわだ新書」というメディア・プロジェクトを通して、アートの現在形を広く問 いかけてみたいと思います。
制作コンセプト:Masaki Kawada avec mhR
果たして「美術とは何か?」という問いに対して、どれくらいの人が答えることができるだろうか。 言葉を詰まらせる人、他の話題にすり替え答えを濁す人、雄弁に美術とは何かと語る人・・・・・。けれども、それら答えが、依然、身近な存在、近くにいる聞き手にしか届かないものであるならば、それは限りなく沈黙に近い語り、言葉でしかない。 もしそうであるならば、僕たちは、そのような沈黙、言葉ではなく、より語ることとして、また、身近な存在よりも、遠方にいる、名づけられながらも無名に近い存在に向けて語る必要がある。
そして、僕たちはそのような語りによって、「美術とは何か?」という問いに対する答えを導き出し、同時に、美術それ自体を常に捉え直していかなければならない。
この本は何と呼べばいいのでしょうか。一般教養としての新書本、あるいは美術の専門書、美術作家の日記、エッセイ、文学・・・・・。私はこの本のための書き下ろしを美術に関わりながら、また、内容も美術に多くの事を触れながら書きました。そうであるならば、この本は美術の本として読まれるべきものになります。しかし、それは私の本意ではありません。確かに内容は美術について多く書かれていますが、しかし、それは美術の内容に触れているだけにすぎません。本書の目的は別のところにあります。
これまで私は美術作家として作品を発表してきました。そして、機会があれば展覧会会場に、また誌面に自らの文章を掲載してきました。しかし、それら文章は美術作家が思考を深めるための作業、作品解説程度にしか受け取られて来なかったように思います。そこには明らかに美術作家が書く文章への誤解と偏見、諦めがあります。
美術作家の書く文章、そう呼ばれてしまうことは仕方のないことですが、しかし、そこにはまた別の営みがあります。美術作家が書く文章、美術作品とは呼ぶことができない文章、別の表現、言葉。むしろ、それら文章は美術のために書かれたというよりも、遠く離れたところから美術を眺めるための、美術のためだけではない、別の目的を持った文章ということです。
ここに書き下ろされた文章は、美術に寄り添いながらも、美術以外へ向けて、ただ言葉としてあります。そして、そのような文章で構成された本書は、著者である私によって名づけられ、ここにあります。
しかし、本書はそのように名づけられながらも、無名のまま読者に届けられてもいます。なぜなら、本書をどう名づけるのかは著者の義務であり、同時に、本書を読む、読者の自由でもあるのですから。
細野晴臣という人がいる。知らない人にはYMОのメンバーといえばわかるだろうか。テクノサウンドである。もっと知らない人には、イモ金トリオの「ハイスクールララバイ」を作曲/編曲した人といえばわかるだろうか。最近は多種多様な活動をしているのでここに挙げるのは避けるが、そんな彼の作品の中にトロピカル三部作と言われているものがある。
『トロピカル・ダンディー/TROPICAL DANDY』(1975年)、『泰安洋行/BON VOYAGE CO.』(1976年)、『はらいそ/PARAISO』(1978年)である。
いずれも70年代の作品になるが、この作品群、どこかねじれている。
この三部作は、トロピカル(オリエンタル)という欧米(西洋)から見た日本(東洋)の幻想をさらに裏返して、日本人がトロピカル(オリエンタル)のテイストを元に音楽をするということをコンセプトにしている。いうなれば日本人が日本人を演じるということである。
細野自身はこのことに自覚的に、そして戦略的に展開していくのだけれども、僕が興味を持つのは日本人が日本人を演じるその裏返しであり、それはまた、妙に日本の美術シーンを言い当ててもいる。
僕たち日本人は美術をするうえで否応無しに欧米の美術/アートを下敷きにそれをしている。もし、僕のような美術作家がトロピカル三部作を美術/アートでやろうとすれば、欧米観の上に成り立つ美術/アートから見た日本の美術を僕たち日本人がするということになる。それは、後期印象派の一人であるゴッホが、浮世絵に興味を持ち自らの画風に取り入れたその絵に、日本人である僕たちが影響を受け、絵を描いたことに似ている。 しかし、それは随分前のこのとでもあるから、現在の日本の美術シーンを言い当てることはできないかもしれない。が、僕たちは欧米にあこがれ追いつき追い越せ、息を切らせて走ってきた。でも、行き着く先はいつもそのような欧米発、欧米印の日本着ではなかっただろうか。僕たちは本当にそこから抜け出すことができたのだろうか。
トロピカル三部作は、日本発、欧米経由、欧米印の日本着である。しかし、そこにはもう一つのねじれ“そのような飛行経路自体を演じきるということ”がある。
僕が思うに、当時、ポップという音楽をすること自体、欧米印になることでもあっただろうから、それをどこまでも保留していくものとしてその飛行経路自体を演じたのではないだろうか。
実際、細野はマーティン・デニーの「"Sayonara",The Japanese Farewell Songs」やヴァン・ダイク・パークスにノックアウトされてトロピカル三部作をつくることになったようだけれども、本当は完全にはノックアウトされていなかったのかもしれないと思えてくる。僕には細野が本質的に持っているだろうしたたかさがその三部作に見え隠れしているように思えて仕方がない。
本当の演技者/ミュージシャンが持つ、奥底に鋭く光るしたたかさ。そのしたたかさの裏には、欧米印の日本を建て前に、実はそんなもの信じちゃいないよと軽々と走り抜けていくようでもある。そして、そんなところに着地するつもりなんてないよと言わんばかりであるようにも思えてくる。
トロピカル三部作最後の作品『はらいそ/PARAISO』のラストに「はらいそ」という曲がある。そして、その曲の最後にこんなフレーズが入っている。
曲の最後、細野の走る足音が挿入されつつフェードアウトしていく。全ての音がなくなった後、再び細野の走る足音がフェードインして、僕たちの前で立ち止まったかのように、その足音が止まる。そして、僕たちに語りかけるように入る最後のフレーズ。
「この次は、モアベター(More Better)よ。」
細野はこれを最後にテクノサウンドを一気に加速、東京テクノポリスという幻想を掲げ、世界を相手にすることになる。
しかし、今はもう東京テクノポリスなんてものはない。それに、僕たちはそんな幻想に着地できないこともわかっている。それでも僕たちはどこかでそのモアベターな幻想を求めてもいる。
では、次にくるであろうモアベターな場所はどこにあるのか。細野がトロピカル三部作で見せた極上ポップを踏み台にして飛んでいったモアベターな場所。僕たちが求めているモアベターな場所。
それは、当然のように、トロピカル三部作から始まる裏返しの幻想を突き抜けた場所でなければならない。
会期:2003年1月7日(火)-1月19日(日) *月休
時間:午後12時から午後7時まで(最終日は午後5時まで)
会場:Gallery ART SPACE、ART SPACE bis、ART SPACE LAVATORY
入場:無料
関連企画
河田政樹(著者・美術作家)+西村智弘(美術評論家・映像作家)+αによる三者面談
会期:2003年1月11日(土) 午後7時より
会場:Gallery ART SPACE
参加費:500円(1ドリンク付)
協力:アサヒビール株式会社