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かわだ新書プロジェクト - 概要

かわだ新書プロジェクトについて

「かわだ新書プロジェクト」は「かわだ新書」の制作、刊行を中心に、作品の流通システムまでを含めた総合的なプロデュースとして企画、運営されているプロジェクトです。

同プロジェクトは2001年に河田政樹、村田早苗、篠原誠司、加藤直子、藤田セージの5名で活動を開始し、翌2002年に「かわだ新書」第1弾として『アートする美術』(かわだ新書001)の刊行、日本全国35カ所の美術館、ギャラリー、書店等に立ち読みを基本とした配本を行いました。また、配本の関連企画として、愛読者カードを制作し、返信された中から抽選で5名の方に「かわだ新書特製しおり」がプレゼントされました。

2003年、それまでの活動を総括した「河田政樹によるかわだ新書プロジェクトの総括展 Documents-old/new-」(会場:Gallery ART SPACE)を開催し、会期中「河田政樹(美術作家・著者)+西村智弘(美術評論家・映像作家)+αによる三者面談」と題したトークショーが催されました。その後、同プロジェクトは上記の総括展を最後にその第1期を終え、2003年8月、第2期として活動を再開、「かわだ新書002」として『写真ノ書』を刊行しました。

かわだ新書とは?

「かわだ新書」とは、「かわだ新書プロジェクト」より不定期に刊行される架空の新書/メディアであり、同時に「かわだ新書」は作家・河田政樹が所有するギャラリー、作品でもあります。また、「かわだ新書」は企画立ち上げ当初から、作品の流通まで含めたトータルなものとして位置づけられ制作されています。

例えば、ギャラリーでもある「かわだ新書」は書籍の流通にのせることによって、本来、流通するはずのないギャラリーという機能自体も流通のシステムにのせてしまうことが可能です。また、新書という形体に限定されてしまうとはいえ、その内であればその時々によって作家・河田政樹が考えうる行為をそこに反映させることができます。

そのような考えを中心に据えながら、2002年に「かわだ新書」第一弾として作家・河田政樹が自主発行していたテキスト集『ノート』の内容を基本におきながら書き下ろされた(一部、再録あり)『アートする美術』(かわだ新書001)を刊行し、2003年秋には写真を中心に構成した『写真ノ書』(かわだ新書002)を刊行しました。この2冊とも、富士ゼロックス株式会社 ART・BY・XEROXの協力を得、同社のコピー機によってプリントされ製本されています。

また、通常、付属品や広報物として制作される「新刊案内」「愛読者カード」「しおり」等も「かわだ新書」の刊行と同時に制作され、それらは付属品でありながらも「かわだ新書」と同様に作品として位置づけられ制作されています。

そして、それら付属品を含め「かわだ新書」は、手に取り読むこと、また「かわだ新書」が置いてある状況を見ることによって〈考え〉〈知る〉ということの媒介も担っています。それは「かわだ新書」が常にある批評性をもって制作・刊行されることでもあり、例えば、美術であれば美術そのものに対して批評的な視点をもって読者の前に届けられるものであるということでもあります。

アートする美術写真ノ書

創刊に際して

1999年、河田政樹によるテキスト集『ノート』が自主発行され、それまで作品集の一部として構成されていたテキストは、展示作品とは別の解釈を、言葉による表現として日ましに自立しつつあった。しかしながら、2001年9月、過酷な社会情勢のなか、『ノート』はたび重なる再版の末、休刊のやむなきにいたり、越えて10月、「スパイラル」の掲載を最後に『ノート』はその第1期を終了した。

2001年8月、『ノート』休刊と前後し、かわだ新書プロジェクトが始動する。日本の美術が、バブル崩壊後の冷めた現実を見据えた、新たな美術表現を築き上げてゆくためには、自主的精神の確立こそ一層欠くべからず要件であった。言葉という営みを通じて美術と社会のさらなる関係を念願とした多くの先人達の意志を継承し、厳しい社会状況下の『ノート』の趣意を改めて新書に発展させることを意図して、2002年、自主発行以来の基本的方針を堅持しつつ、『ノート』はここに、再び装いを改めて、かわだ新書として新たに出発をはかる。

かわだ新書創刊の志は、もとより、『ノート』の延長線上に、言葉による美術表現、冷静な芸術精神を追及し、世界的視野に立つ自主的判断の資を提示することにある。発刊の辞は、「言葉による現代人としての現代的美術表現を目的としてかわだ新書を刊行する」とその意を述べている。また、技術の発展は、美術の意味を根本的に問い直すことを要請し、近代を形成してきた諸々の概念は新たな検討を迫られ、世界的規模を以て、時代転換の胎動は各方面に顕在化している。しかも、今日にみる価値観は、余りに多層的、多元的であるが故に、美術が長い歴史を通じて追及してきた表現をすら見失わせようとしている。「言葉による現代人の現代的美術書」という辞は、このかわだ新書において、以前にもまして積極的な意味を賦与された。

かわだ新書は、21世紀の新たな年月を生き、さらなる美術表現への展望をきりひらく努力を惜しまぬ辛辣な人々に伍して、現代に生きる文字通りの新書として、その機能を自らに課することを念願しつつ、この新たな歩みは始まる。
創刊にあたり、今日の状況下にあってわれわれはその自覚を含め、美術の基本的表現の伸張、社会的表現の実現、国際的視野に立つ豊かな美術的創造等、日本の美術が直面する諸課題に関わり、広く時代の要請に応えることを期する。読者諸賢の御支持を願ってやまない。(2002年7月)

奥付