古屋誠一『メモワール. 』展を見る。
目の前にある光景を撮る。
普通さの強度ってあるんですね。
それに最後の「メモワール」としながらも、その最後の展示構成を学芸員に委ねる。
興味深いですね。
「彼女の死後、無秩序な記憶と記録が交錯するさまざまな時間と空間を行きつ戻りつしながら探し求めていたはずの何かが、今見つかったからというのではなく、おぼろげながらも所詮何も見つかりはしないのだという答えが見つかったのではないかと」
というインタビューを読むと、展示構成を任せた理由が伺えるような気がします。